岐阜の念興寺(岐阜県郡上市和良町沢)には「鬼の首」と呼ばれている頭部より二本の角が生えた頭蓋骨が保管されている。
同地一帯には鬼退治の伝説があり、平安時代に村上天皇の命をうけた藤原高光なる人物が瓢ヶ岳に棲む鬼を退治したと言われている。また他の伝承では高光が退治したのはサルトラヘビという鵺(ぬえ)に似た妖怪だったとも伝えられている。
その鬼の首は当初、他所に保管されていたが江戸期に同寺に収められたという。
実はこの鬼の頭蓋骨、筆者が子供の頃に妖怪好きの間では有名であった。
名作『手天童子』を執筆するために鬼に関する取材を進めていた永井豪氏は、同寺で写真撮影を止める住職の言葉を気にしながらも、この鬼の頭蓋骨を撮影して帰京した。
だが、それ以降永井氏の周辺ではまるで鬼の仕業としか思えない怪奇現象が頻発し、その写真はお寺に返された・・・。
ここまでが筆者が子供時代に雑誌などで語られていたエピソードである。
その後、その鬼の頭蓋骨のものと思える写真に関して、別パターンの伝説を聞くことになる。
別の鬼の写真なのか、別アングルなのか、焼き増しなのか不明だが、永井氏所有の鬼の首の写真は、漫画家の森園みるく氏を経てつのだじろう氏に渡ったというのだ。この話は山口敏太郎事務所のパーティーにおいて、森園みるく本人から筆者が直接聞いている。
いや、さらに驚くべき新事実がある。
筆者が長良川おんぱくの一環として毎年行っている『長良川おんぱく 妖怪ツアー』の蒲事務局長が同寺の檀家であり、彼の祖父が鬼の首は二つあると証言していたらしい。
昔は檀家が集まって寺宝などを虫干ししていたらしく、鬼の首は二本角が生えたものと、一本角のものと二種類あったというのだ。しかも、一本角の鬼の首は虫干しのため外に出すと、必ず雨が降ったらしい。
これは一体どういう事であろう?
永井氏の鬼の首の写真は、二本角、一本角と二種類あったのか・・・また、何故一本角の鬼の首は公開されないのか?
ひょっとすると祟りが強いのが一本角の鬼の首なのだろうか?謎は深まる。
なお、鬼に関するアーカイブはこの他にも、鬼と戦った芸人おぎやはぎ、 鬼の御朱印がもらえる鬼岩公園、岡山県に残る鬼伝説「温羅」、大晦日の夜に百鬼を率いて現れる鬼人、鬼の手形が残る岩のある神社、二つの安達原伝説、鬼婆の話、鬼婆伝説が日本中にある理由、鬼が作った刀、鬼の首が占ってくれる。吉備津の釜、大宮の鬼婆、黒塚の伝説、鬼と呼ばれた人々を討った坂上田村麻呂、鬼は外と言わない集落、鬼の角を祀る徳島県の寺 などがよく読まれている。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
画像は『手天童子 コミック(講談社)第一巻』表紙より