妖怪の中でも鬼婆は広く知られている。鬼婆の浸透に大きな役割を果たしたものに、歌舞伎の「安達原」が挙げられるが、歌舞伎以外にも、謡曲、浄瑠璃で庶民に親しまれてきた。
鬼を詠んだ歌で有名なものに「みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」という平兼盛の和歌があるが、兼盛自身は、本当に安達原に鬼が棲み、人を食っていたとは認識しておらず、噂に聞く安達の国守の美しき娘たちを鬼に比喩したとされる解釈が主流のようである。
実は埼玉にも鬼婆伝説はある。氷川神社の東側一帯は、かつて「足立ヶ原」と呼ばれていたのだ。当然、そこには鬼婆が棲んでいたという伝承が残されている。つまり、鬼婆伝説は「奥州の安達原」が元祖ではなく「武州足立ヶ原」が元々の伝承であったという。
これに関する記述は『諸国俚人談』にて確認できる。以下該当部分を紹介しよう。
「黒塚は武蔵国足立郡大宮駅の森の中にあり、また奥州安達郡にもあり。東光坊悪鬼退散の地は武蔵国足立郡を本所といへり」
また、『新編武蔵風土記稿』にも祐慶上人が東国安立ヶ原にて黒塚の悪鬼を呪伏して東光坊と号したと記述がある。
つまり、意外な事に埼玉の大宮が「鬼婆伝説の本所」であるというのだ。
更に大宮には東光寺という古刹がある。曹洞宗の寺であり、東光坊祐慶の開基だと伝えられている。『奥細道菅菰抄』の記述によると東光寺の裏の畑に黒塚が残っているとされているが、現在東光寺は当時とは違う場所に移動しており、黒塚があったとされる場所には、現在黒塚大黒院という寺が建っている。
ちなみに、観世九皐会によると、この埼玉の足立ヶ原には、鬼婆のモデルとも言える女盗賊もいたそうである。
(山口敏太郎事務所 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)
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