南米大陸のアマゾンには、かつて巨大な文明が栄えていたと言われている。現在のボリビア共和国北東部のボリビア・アマゾン地域に存在したとされるこの古代文明は、南米で3番目に大きい平原「モホス大平原」を拠点として、四大文明を凌駕する規模と古さを有していたのではないかと考えられている。
このいわば古代アマゾン文明は、その拠点となっていた平原の名から別名「古代モホス文明」とも呼ばれている。
20世紀初頭、スウェーデンの民族学者エルランド・ノルデンショルドが、モホス大平原にて人工的な盛り土を発見し、多量の土器や貝殻などを採取したことで文明の痕跡が初めて発見された。そして1960年代になって地理学者、人類学者など多くの研究者が調査を行なったことで、だんだんとその存在が一般に知られるようになっていった。
文明の痕跡として、まず人工の盛り土「ロマ」の存在があげられる。ロマは、古代人の居住地あるいはコミュニティとしての役割を果たしており、雨期に氾濫した際は島にもなっていた。その数は大小合わせておよそ2万にも及び、高さは最大のもので30m、直径が1kmもあるロマも存在しているというのだ。また、ロマ同士を放射状に結んだ「テラプレン」という道路が走っており、その広大な道路網は総延長5000km以上と言われている。
さらに、広大な耕作地が広がっていることもこの文明の特徴である。これは、古代人によってアマゾンの大地に果てしない規模の計画農業が実施されていたことを示すものであり、農業のためにアマゾンの水を制御する2000個もの人造湖も存在した。この人造湖は、すべて同じ方角を向いており、またほとんどが正方形となっている。人造湖では大規模な魚の養殖も行なわれていたようである。
雨季には冠水、乾期には平原となる特殊な地域において、水をコントロールするためのきわめて高度な技術が反映されているのが、この文明の特徴と言えるだろう。
年代測定がごく一部でしか行なわれていないものの、古代モホス文明のはじまりは数千年前に遡るとされ、西暦1200年前後には滅亡したものと考えられている。非常に長い年月に渡って栄え、また全盛期には100万人もの人口に達していたとも言われている。
日本ではあまり知られていないというこの古代モホス文明であるが、その高度な技術のほか、ある注目すべき発見もなされている。2005年ごろ、宗教人類学者実松克義(さねまつかつよし)によって現地調査が行なわれたところ、身長180cmほどの完全体人骨が発掘された。
「チカ・ルス」と名付けられたこの人骨は、身長が高いという点のほか、足の骨も太く、未知の民族の可能性も示唆されている。また、高身長の人骨が発掘されたことから、古代モホス文明は巨人たちが生活していた文明だったのではないかとも推測される。
アマゾンのある南米といえば、パタゴニアの巨人族パタゴンが有名だろう。その昔、4~6mもの巨人であったと伝えられていたパタゴンであるが、航海が頻繁に行なわれるようになってからの調査により、190cmほどであったとされている。
かなり誇張はされていたものの、それでも随分と高身長であることには変わりない。同じく南米という地域であることから、パタゴンと古代モホス文明とには、何らかの関係があるのではないかという推測もなされている。
因みに、古代モホス文明がどのような人々によって建設されたかについてはハッキリとわかっていない。ただ、不思議なことに発掘される人骨はアジア系が圧倒的に多く、長い道のりを経て大陸を移動してきたと定説になっていたはずのアフリカ系の人骨はわずかであったという。
このことは、複数のルートによって人類は移動しており、またこの南米へはアジア人が太平洋を渡ってやってきた可能性が示唆されることとなる。
しかしながら、なぜ古代モホス文明の人々やパタゴンがこれほどの高身長を有していたかについては明らかになっていない。余談ではあるが、中国では他のアジアの国に比べて高身長の人間が多いと言われており、その理由は豊富な資源・食料のほか、多くの種族・民族による混血に由来すると推測されているという。
大陸から渡ってきたそうしたアジアの人々が、海を渡り古代モホス文明を築き上げたのだろうか。今後の研究の進展が待たれる。
【参考記事・文献】
実松克義『衝撃の古代アマゾン文明』
ボリビア・アマゾンの古代文明
https://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000257_all.html
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 ウィキペディアより引用 CC BY-SA 4.0
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