今回は、ガスコンロの話と視線の話をしてみたいと思います。
1、ガスコンロの話
うちではヘルパーさんに来てもらい、食事の支度をしていただくのですが、ある時、「ガスコンロの火がつかないんですよ」といわれました。
「さっきまで、なんともなかったのに?」そういいながらまた台所へ戻り、何度も何度も火をつけようと試みていました。
その時、私は非常に腹が立つことがあり、頭の中でそのことを考えていました。そしてふとこんなことを思いついたのです。
『まさかとは思うけど、この怒りの波動がガスコンロに影響しているのかも?』
そして怒りを解いて、穏やかな幸せなイメージをしました。するとどうでしょう、「ああ?ガスコンロ、治りましたよ」「火が付きました」というではないですか?
でもまあ、そんな偶然もあるだろうな?と思い、「それはよかったです」と、普段通り世間話をしながら、食事をしたのでした。
これが一回ならただの偶然ですが、ガスコンロに関しては、覚えてるだけで、3回はあります。まあ、そんなことが本当にあるならファンタジー小説でもかけるかな?と面白がってる次第です( ´艸`)
2.視線の話
まだ見えている頃のことですが、私が高校に通っていて、ある科目の授業中のことでした。
先生が書く黒板の文字を追いかけて、それをノートに書き込んでいるときです。ふと先生が握っているチョークに視線を当てた瞬間、
“ぽきっ”
軽い音を立てて、チョークが折れました。面白い偶然があるものだと思い、また黒板に書かれていく文字を追いながら、それを
ノートに書き込んでいました。
そしてまた何気なく先生が持っているチョークに視線を当てると、また、“ぽきっ”・・・ん?これは偶然かな?
そしていたずら心がわいてきて、『これが偶然なら、何度も同じことは起こらないはず』と思い、今度は、意識して先生の手元のチョークに視線を送りました。
“ぽきっ”
また折れました。「今日はよくチョークが折れるなあ」と忌々し気にまた新しいチョークを取ってきて改めて先生は黒板に向かいなおし、様々な文字を書き始めました。
そこでまた視線をチョークに当てると、“ぽきっ”!
私は面白くなって何度かそれを繰り返しましたが、だんだん先生の表情が険しくなってきたので、その辺でやめました。
今思えば、その日は、先生のチョークを持つ手の握力がおかしかったのだろうと思いますけど。
3.視線の話、その②
チョーク事件があった同じ日のことです。
授業が終わり、下校の時、前を歩ている他校の生徒の足元に何げなく視線を送ると、何もない平坦な道なのに、足が絡むように、転びそうになったのです。
今日は変な日だなとは思いながらも、それを面白がり、また別の生徒の歩いている足元に、視線を送ると、また絡むように足がもつれ、転びそうになりました。
次は、バス停でバスを待つ生徒に同じことをしました。
その人は、歩道のヘリに立っていたのですが、視線を送ると、車道側に、足を滑らせてしまい、転びかけてしまいました。
『あ、これは危険だ』と思い、自分でやっているとしたら、この遊びはもうやめなきゃと思い、それ以来やっていません。
(アトラスラジオ・リスナー投稿 jcm2000さん ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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