70年代にオカルト映画ブームの火付け役となった「エクソシスト」。いまやありふれた言葉になってしまったエクソシストという言葉は、おもにカトリック教会で悪魔払いの儀式を行う神父を指す言葉として使われているが、現在では精神的なカウンセラーとしての側面が強いともいわれる。
そんな中、実際に悪魔払いの儀式を行ったことがあるという日本人の神父に、匿名を条件に話を聞いた。
これまでエクソシストについては多々報じられてきている。前述の映画も、1949年に実際に米国で起きたメリーランド悪魔憑き事件を基にしているといわれてきたが、最近では、この事件自体の信憑性が疑われている。それについてはまた別の機会に検証したいが、「果たして本当に悪魔払いの儀式がカトリックの中で行われているのか?」という疑問に、「行われている」とあっさり答えを示した神父がいる。
この神父は、東京大司教区の神父で、過去いくつかの教会の主任司祭を務めたことのある、れっきとしたカトリックの聖職者だ。
映画の中では、悪魔払いの儀式(エクソシズム)を執行するには、本当にそれが憑依現象であるかどうかを入念に確認する必要があるとされ、たとえば、ただの水道の水を聖別された水(聖水)だと偽って被憑依者(悪魔に取り憑かれている人)にかけて見抜けるかどうか、あるいは本人の経験上知り得ない言語を駆使するかどうかなど、いくつものチェック項目があるとされている。そのうえで、司教の許可が下りれば、医師同席のもとはじめて儀式を執行できるというのだ。いかにももったいをつけたような、仰々しい印象を受ける。
くだんの神父は語る。
「それは映画の中でまことしやかに語られていることでしょう。私の場合は、ある教会の主任司祭を務めていたときに、その教会の信者の家族から、娘の様子がおかしい、病院へ連れて行ったが治らないと相談を受け、実際に訪問したところ、わけのわからない言葉を発し、表情も行動も別人のような粗暴な様子だった。これは悪魔に憑依されているに違いないと、その場で『父と子と聖霊によって』悪魔を退却させる祈りを唱えたところ、本当に何かが氷解していくように普通の状態に戻ったのです。いや、もちろん、ただそれだけのことですよ」
誤解がないように書いておくと、神父は「まず娘さんをもっと大きな病院にみせなさい」と勧めたが、熱心な信仰者である両親から、「病院にもみせるが、神父様にもお祈りしていただきたい」といわれたので、主任司祭の務めとして家庭訪問のうえ、前述の祈りをしたまでだという。
「同じようなことを、この30年ほどの間に3回経験しています。本当に悪魔が憑いていたのかって? そんなことはわかりませんよ」と屈託なく笑う。
「本人がそう思い込んでいただけで、私の祈りがその自己暗示を解いただけかもしれません。ただ、儀式というほど大げさなものではなく、教会から叙階(聖職者の位を授かること)された神父なら、誰でも悪魔を追い出す祈りには有効性があります」
あまりにもあっさりした告白に、(悪魔払いがこんなに軽いなんて!)と思われるかもしれないが、これは事実である。
もちろん、もっと大げさに儀式を執行する場合もあるだろうが、映画に出てくるようなものすごいエクソシズムばかりが悪魔払いではないということだ。実際には、神父によっても、土地柄などによっても、悪魔払いに対する見解・見識は異なるのだろう。
神も悪魔も、思ったより身近なものだったりするのではないか。
(烏基彦 からすもとひこ ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)