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【覆る日本史】天海=光秀だった?!日光東照宮猿は15人の将軍を意味?(後編)

 因みに、あるテレビ局が光秀と天海の筆跡を鑑定したことがある。その結果、筆跡は似おり身内か師弟関係にあったものであるという結論が出た。だとしたら、天海上人=明智光秀という図式は崩れてしまう。

 ひょっとしたら天海は光秀の娘婿であり、重臣でもあった明智秀満ではないのかと推測してしまうが、天海が100歳を超える当時としては驚異的な寿命であったことを考えると、光秀が初代を演じ、秀満が二代目を演じたとも考えられる。天海の晩年の筆跡では正確な鑑定はできない。歴史に出た早い段階の筆跡と光秀晩年の筆跡との比較鑑定が必要ではないだろうか。

 またこれは筆者が勝手に推論している妄想ではあるが、日光東照宮には江戸幕府の運命が予言されているようなビジュアルが多数存在している。偶然の一致と言えばそれまでだが、シンクロニシティとしては大変興味深い。




 例えば”みざるきかざるいわざる”で有名な馬小屋に刻まれた猿たちは合計15匹が存在する。この15匹が徳川将軍の人数と一致することが妙に気になる。

 その猿一匹一匹が歴代将軍に一致するとしたらどうだろうか。一匹目の猿は子猿を連れている。これは長男であった信康を連れた家康ではないだろうか。二匹目から四匹目の猿が俗に言われる”みざる・きかざる・いわざる”である。これは海外の出来事は見ても聞いても言ってもいけないという鎖国政策を意味しているのではないだろうか。さらに五匹目、六匹目の猿は”上を見てもきりがない猿。下を見てもきりがない猿”と俗に呼ばれており、上を見る仕草の猿と下を見る仕草の猿が彫られている。これは鎖国政策と並ぶ江戸幕府の代表的な政策である士農工商という身分制度の固定を暗示してはいないだろうか。

 さらに八匹目の猿は横の猿を労わっており、幕府中興の祖といえる八代将軍吉宗を意味していると推測できる。また13匹目の猿からは波に乗っているが、これは十三代将軍の頃から幕府が歴史の荒波にもまれている状況を意味してはないだろうか。そして15匹目の猿は”立ち猿”と呼ばれており、どこに立ち去ってしまうような仕草が彫り込まれている。これこそ、十五代将軍慶喜の大政奉還を暗示していないだろうか。




 他にも日光東照宮にある「眠り猫」は、全く寝ておらず横から見ると目があいているのだ。つまり、起きている。ちなみに「眠り猫」の後ろの階段を上り詰めると、家康が眠っている墓所に着くのだ。しかも、「眠り猫」の裏側には「踊り雀」が彫り込まれている。この「踊り雀」とは伊達家を意味するものとされており、伊達の反乱を「眠り猫」。つまり家康の御霊が死んだふりをして監視しているという図式にも見てとれる。

 また、日光東照宮の名物「鳴き竜」は、明智家の子孫であり倒幕を成し遂げた坂本龍馬のことではないのだろうか。明智が開いた幕府を、明智の子孫が閉じていく。鳴き竜の鳴き声は”龍馬の成し遂げた偉業”を意味してはいないか。

 ひょっとしたら天海は江戸幕府が十五代で崩壊し、自らの子孫が崩壊させるという未来の歴史が見えていたのかもしれない。日光東照宮は江戸幕府の運命を予言していた偉大なる予言書なのだろうか。

なお、ATLASでは生存伝説のアーカイブが人気である。「天草四郎はフィリピンに逃げた!?」「西郷隆盛は生きていた!?」「関ヶ原の戦いの後、島左近は生きていた」「マイケルジャクソンは死んではいない。実は生きていた」「戦死した歌手が伊豆で生きていた? 」「ヒトラーが潜伏していたアルゼンチンのエデン」「ヒトラーは自殺していない。CIAの報告書」「永六輔は、戦後川島芳子に会った」「源義経はジンギスカンになった?」「大塩平八郎が死んでいない。海外に逃亡?」などがある。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

日光東照宮