古くは西郷隆盛や川島芳子()など歴史の偉人には「生存説」が付き物である。
それは芸能界も同じで、エルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソンやテレサ・テンなどはその死から数年経った今でも生存説が時々聞こえてくる。
さて、そんな「芸能人の生存説」であるが、日本でも1972年(昭和47年)に「死んだはずの歌手が実は生きていた」という衝撃のニュースが新聞紙面(毎日新聞夕刊10月26日号)を飾ったことがある。
それは昭和10年代(1930年代後半から1940年代前半)に一世を風靡した上原敏(うえはらびん)という歌手である。
上原は甘いマスクに優しい声を持った歌手で、代表曲である「妻恋道中」のレコードは25万枚を売り上げる大ヒットとなった。しかし、デビューからわずか7年後の1942年、太平洋戦争勃発に伴い、上原まで召集令状が届き出兵。1944年に激化したニューギニア戦線にて消息を絶っていた(なお、上原は多くの慰問活動の実績により本来は召集される必要はなかったのだが、役所が誤って赤紙を送付。そのまま出兵したという悲劇もあった)。
その上原が終戦から約30年が経過した1972年、伊豆の温泉場で「佐々木」という名前に変えて、旅館の風呂焚きとして働いているという衝撃のニュースが伝えられたのだ。
毎日新聞の記者が「自分が上原敏だ」と語るその佐々木と名乗る男性にコンタクトを取ったところ、顔の形は確かに上原に瓜二つだったという。ところが、肝心の声は甘い声の流行歌手だった上原の面影はなく、しかも上原には縁もゆかりもない新潟の訛りが時々混じっている(上原の出身は秋田県である)など、かなり怪しい。
しかし、佐々木氏本人はしきりに「オレの正体は上原敏だ」と周囲に語っていて、念のため生前の上原をよく知る関係者数人が佐々木氏とコンタクトをとったところ、やはり顔はよく似ているのだが、記憶が曖昧だったり、事実とまったく違うことを話しだすなど、到底上原本人だとは思えなかったという。そしてついに、この人物は「自分のコトを上原敏だと思い込んでいるタダのオジサン」という結論が関係者の間で出ていたようなのだ。
なお、この「ニセ上原敏騒動」が発生した同年には小野田寛郎少尉がルバング島から帰国。恐らくは「小野田さんブーム」に便乗した旅館による宣伝目的のための成り済ましだったのではないかというのが大方の推測である。
なお、ATLASでは生存伝説のアーカイブが人気である。「天草四郎はフィリピンに逃げた!?」「西郷隆盛は生きていた!?」「関ヶ原の戦いの後、島左近は生きていた」「マイケルジャクソンは死んではいない。実は生きていた」「ヒトラーが潜伏していたアルゼンチンのエデン」「ヒトラーは自殺していない。CIAの報告書」「永六輔は、戦後川島芳子に会った」「明智光秀=天海上人説」「源義経はジンギスカンになった?」「大塩平八郎が死んでいない。海外に逃亡?」などがある。
(文:穂積昭雪 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『アイケ・コプチャタの唄-歌手・上原敏の数奇な生涯を追って (秋田魁新報社)』