来年のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」(2018年1月7日、日曜日、午後8時スタート)、主演の西郷隆盛を鈴木亮平が演じる。
幕末の英雄と言うと、我々現代日本人は坂本龍馬や高杉晋作を連想するが、戦前の日本人の間では西郷隆盛が幕末最大の偉人であり、龍馬などは脇役に過ぎなかった。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が大ヒットし、大河ドラマされることにより龍馬の幕末の英雄の座についただけであり、西郷隆盛の存在は戦前の日本において大きかった。
この西郷隆盛という人物には多くの謎が語られている。まず、西郷を撮影した写真が一枚も残ってないという事実と、教科書に掲載されていた肖像画もあまり似ていないという話がある。
この肖像画は外国人画家エドアルド・キヨッソーネが描いた作品だが、西郷の友人であった得能良介のアドバイスを受けながら、実弟・西郷従道や、従兄・大山巌の顔を合成しながら作り上げたものだという。このモンタージュのような肖像画と並び西郷のイメージを創り上げたのが上野公園に鎮座している西郷像だ。
この像の起工式において西郷の未亡人は「こげんなお人じゃなかった」という言葉を出しとされている。この言葉は銅像の顔が西郷と似ていないという説の根拠されているが、実際には着流しで犬を連れてあるく西郷像に、未亡人が「着流しで散歩をするような人ではない」とその出で立ちに異議を唱えたのが真実のようだ。
このように西郷の姿を伝える明確な写真がないため、幾つかの混乱が生じているが中でも代表的な逸話が「西郷隆盛生存説」である。
一応表向きは、西南戦争で敗北し自決したとなっているが、その死が確認されたわけではない。フィラリアに感染し巨大化した陰嚢を持つ、首のない遺体が確認され、それを西郷隆盛の遺体として官軍が認定しただけである。
当時、鹿児島ではフィラリアが流行しており、成人男子の10人に1人が感染しており、フィラリアの感染した遺体が西郷であるという明確な証拠とはいえない。まして直接顔を知る者は限られているのだから、別人になりすまして逃亡したとも、生存しているとも噂された。
そもそも西郷は西南戦争で勝つ気がなかったという説もある。
薩軍が熊本に進撃しているときに一万人規模の農民一揆が起きており、その一揆と連動すれば南九州を制圧することが可能であった。にも関わらず西郷はその策をとらず、自滅の道を歩んでいく。不平士族を鎮めるために明治政府と連動してあえて西南戦争を敗北に持ち込んだと指摘する研究家もいるぐらいだ。
その後、明治から大正にかけて西郷隆盛生存説は庶民の流布され、ロシアで生存しており目撃者がいるとか、ロシアの戦艦に乗って帰国するとか。接近した火星、今年に入って先月末に見ることが出来たスーパーマーズを西郷星と呼んで、火星を望遠鏡で見ると軍服姿の西郷が見えると評判になった。
顔を知られていなかった英雄ゆえに、ファンタジックな伝説が生まれたのであろう。
なお、ATLASでは生存伝説のアーカイブが人気である。「天草四郎はフィリピンに逃げた!?」「関ヶ原の戦いの後、島左近は生きていた」「マイケルジャクソンは死んではいない。実は生きていた」「戦死した歌手が伊豆で生きていた? 」「ヒトラーが潜伏していたアルゼンチンのエデン」「ヒトラーは自殺していない。CIAの報告書」「永六輔は、戦後川島芳子に会った」「明智光秀=天海上人説」「源義経はジンギスカンになった?」「大塩平八郎が死んでいない。海外に逃亡?」などがある。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)