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「たこ八郎」がダブルブッキング回避、その協力者は「いか八朗」!

たこ八郎は、コメディアン・俳優として活躍していた人物。

元日本フライ級王者に輝いたボクサーでもあり、河童のように髪型を刈り込んでいたことから「河童の清作」(本名が斉藤清作)と呼ばれていた。子どもの頃に泥遊びで泥が目に入って以降、左目の視力をほとんど失っていたが、それを悟られないためにわざと相手のパンチを食らうというような独自のファイトスタイルを行なっていた。

たこがボクサーとしてまだ現役だったころ、実はコメディアンの由利徹の門をすでに叩いていたという。

その際、弟子をとらない主義であった由利は、「チャンピオンになったら弟子にしてもいいよ」とたこに言った。由利にしてみれば冗談のつもりだったのだが、たこはこれを聞いて本当にチャンピオンとなり、結果として由利は弟子入りを認めざるを得なかったという。

たこ八郎という芸名は、由利の弟子となって以後役者として活動を始めるために付けたものである。その由来は、近所のいきつけの居酒屋「たこきゅう」から取られたと言われている。

少々強面ではあるものの、そのコミカルな役回りは大いに人気を獲得し、『幸福の黄色いハンカチ』『探偵物語』といった映画・ドラマなどにも出演、昭和の大スターたちと数々の共演を果たした。ドラマ『ムー一族』では、細川俊之と共に取り立て屋のコンビで出演、「たこ八郎だ本名だからなコノヤロウ!」と芸名のままで出演していた。

さて、そんな「たこ八郎」という名前から連想される人物の一人といえば「いか八朗」だろう。映画『テルマエ・ロマエ』シリーズにて、入浴中の老人役で出演し、またテレビCM『カレーメシ』の初期バージョンでも登場していた人物だ。

両者は、俳優業をしていたということからかねてより接点があった。元々、いかは「たこ八郎に似ている」ということからモノマネもしており、「たこさんが怒っている」との噂を聞いて直接挨拶に行ったところ、快くモノマネを許してくれたという。

そんなある時、たこが非常によく売れていた時期のこと、日本と香港とで撮影予定が重なってしまっている、いわばダブルブッキングが発覚してしまった。

そこで、香港の撮影へは、いか八朗が”たこ八郎のフリをして”撮影することになった。なんと、別人だとバレることなく撮影は無事終わった。

この一件によっていかは、「いか八朗と名乗っていいですか?」とたこに了承を得て、晴れて「いか八朗」の芸名と相成ったという。

余談だが、たこは生涯独身であったが一時期息子がいるという噂が流れた。この理由は、同時期に活躍していたコメディアン東八郎との混同だと言われている。

また、コラムニスト、故・宅八郎のこの作家ネームはたこ八郎をもじったものだと言われている。たこ八郎の名前にまつわるエピソードはいくつも存在するようだ。

【参考記事・文献】
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/230211
https://www.daily.co.jp/gossip/2018/05/30/0011307637.shtml
https://newsee-media.com/takohachiro#i-9
https://x.gd/9dX0t
https://newsee-media.com/takuhachiro

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【文 黒蠍けいすけ】

画像『昭和のチャンプ: たこ八郎物語

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