サブカル

若き日の天皇陛下がファンであることを公言したアイドル「柏原芳恵」伝説

柏原芳恵(かしわばらよしえ)は、アイドル歌手、女優、タレントなどで活躍する人物である。1979年に『スター誕生』に出演して合格、のちにグランドチャンピオンとなって1980年にアイドル歌手としてデビュー。

讃岐裕子のカバー曲『ハロー・グッバイ』でブレイクを果たした。80年代からは女優業が多くなり、多くの作品の主演を務めている。

彼女の代表曲の一つである『春なのに』は、現在でも卒業式の定番曲として知られている。中島みゆきが作詞作曲を手掛けており、また紅白歌合戦初出場にて歌唱した楽曲でもある。

それ以上に伝説として語られるのは、今上天皇が皇太子殿下時代に彼女のファンを公言していたということだ。1983年、当時23歳であった殿下がイギリスのオックスフォード大学留学直後の記者会見にて、「好きな歌手は柏原芳恵さん」「『春なのに』はいい曲ですね」と発言、さらには寮の自室に彼女のシールを貼っていたなど、多くの事実が判明し大きな話題を呼んだ。

皇太子殿下が彼女のファンであったことは学友の間でもよく知られており、学習院大学のゼミや部活の後輩であった竹内尚子さんは、殿下を含め仲間とカラオケにいった際、「柏原芳恵を歌って」と殿下からリクエストされていたという。

さらに驚くべきは1986年10月19日、この日、新宿厚生年金会館にて彼女のデビュー7周年リサイタルが行なわれた際、なんと殿下が観劇に訪れるというサプライズが起こった。

殿下より、東宮御所に咲いていたバラ「プリンセス・サヤコ」が一輪、彼女へプレゼントされ、彼女からは返礼としてサイン入り写真集やLPが贈られた。

ただ、殿下がおいでになるということで、開催前の事前打ち合わせは彼女含め周囲の誰もが緊張に包まれた。挙句、どのような挨拶で良いのか、どうやってお話しても良いのか、などといった旨を宮内庁に問い合わせたところ、困ったように「前例がございませんので・・・」の繰り返しの返答になってしまっていたという。

因みに、この時殿下からプレゼントされたバラは、ブリザード加工された上で真空のガラスケースに収められ、彼女いわく「家宝」として現在も大切に保管されているそうだ。

ところで、彼女にまつわる都市伝説に、「こけし事件」と呼ばれるものがある。

これは、彼女がグラビア撮影のため海外へ向かうさなか、空港の検査ゲートで手荷物検査を受けたところ、いわゆる大人のオモチャが発見されてしまい、マネージャーから「ちょっとくらい我慢できないのか」と叱られると、彼女が「みんな持ってる!」と反論したというものだ。

この噂はのちに尾鰭が付き、クイズ番組に出演した際に「こけし」から連想されるワードに「電動」と答えたことで紅白出場を取り消しされた、またその所持していた”こけし”には「よしえ」という自身の名前がマジックで書かれており持ち歩いていたといった話等など、どんどんと大きくなっていった。

ただし、これについては手荷物検査で引っかかった理由や、情報が漏れた経緯も不明ということから、完全なるデマである。

広まった明確な原因は定かではないが、「タモリのオールナイトニッポン」にて視聴者から寄せられたネタのお便りによるものとの説が有力視されている。

なお、この見解からさらに「柏原芳恵はタモリと共演NG」という新たな噂も広まった。しかし、1990年にはタモリがストーリーテラーを務める『世にも奇妙な物語』にて「半分こ」という物語に彼女は出演しているため、このタモリとの共演NG説も疑わしいと言わざるを得ない。

【参考記事・文献】
https://www.crank-in.net/interview/119277/1
https://syowaongaku.com/kasiwabara-yosie-1926#toc7
https://jisin.jp/koushitsu/1714438/
https://gendai.media/articles/-/108774?imp=0
https://grapee.jp/696356
https://wondia.net/kashiwabara-yoshie#i-3

【アトラスニュース関連記事】
「八咫烏」七十六部衆数名が殉職 皇太子殿下を即位まで守りぬけ
コンパで池に飛び込み、ディスコで入店拒否、「今上天皇」青春時代のエピソード

【文 黒蠍けいすけ】

画像『春なのに +3(SHM-CD)(紙ジャケット仕様)

  人気アーカイブ in THIS WEEK

飛行機の窓から撮影した!雲の上に立つ人影は神だった!?

詳細ページ

追悼カーター元大統領 UFO実体験がその後の行動を変えた!

詳細ページ

大阪あるある 未就学児にも厳しすぎるボケ教育強制

詳細ページ