【童謡の都市伝説】「かごめかごめ」「花いちもんめ」に纏わる悲話

 筆者の在住する千葉県は童謡に縁のある土地が多い。例えば、野田市の名曲「かごめかごめ」が挙げられる。

「かーごーめー かーごーめー かごの中の鳥は~ 」

 このかごめかごめの歌詞は、様々な解釈がなされている。原因はその不可解な歌詞にあるのだが、どれも不気味な解釈が多い。

「かごの中の鳥は赤子をさし、夜中にすべるとは流産した事を表す。つまり、子供を流した女性の怨念の歌である」
「かごめとは、漢字で書くと篭女となり、篭の中の鳥とは文字どおり遊女である。その遊女が身請けされる話を歌った」
「この歌は徳川幕府の埋蔵金の在処をしめす歌で、埋蔵金の埋まっている場所は歌詞を解読するとわかる」
「篭目は、ダビデの星=六芒星を表現しており、古代ユダヤと日本人が同一民族であるという内容の歌である」

 などその解釈は様々あるが、筆者のオリジナルの解釈を紹介しておこう。野田という場所柄から、この歌詞は醤油の熟成を意味している歌と分析している。つまり、篭の中の鳥とは、樽で熟成されていり大切な醤油、いついつでやるとは、いつ醤油が完成するのかという事さす。更に夜明けの晩に鶴と亀がすべったとは、完成する寸前に醤油造りが失敗したという意味に該当する。みなさんの推理はいかがであろうか。




 千葉と言えば、もう一曲忘れてはならないのが

「証、証、証城寺、証城寺の庭は、ツ、ツ、月夜だみんな出て来い、来い、来い♪」

 のフレーズで知られる証城寺の狸ばやしである。今なお人気は衰えず、記念切手になったり、毎年10月には近隣の小学生による狸イベントが境内で催される程である。元々は大正13年に中山晋平・作曲、野口雨情・作詞により作られたもので、この童謡の舞台となったのは、JR木更津駅から徒歩10分程度に位置する古刹・證誠寺である。同寺には和尚さんの三味線と狸の腹鼓が毎夜演奏合戦をし、最後は腹の皮を破った狸が死んでしまい、和尚さんが狸を埋葬したという伝説があった。大正8年夏、木更津にやってきた詩人・野口雨情は、この伝説に触発され、名曲を書き上げた。大変楽しい童謡だが、狸が最後に死んでしまうストーリーである。ほかにも雨情には一見楽しいのだがどことなく悲しい歌が多い。名曲・しゃぼん玉は、その為であろうか。この童謡にも哀しい都市伝説が語られた。

「このしゃぼん玉の歌は、魂の歌である。つまり、幼くして死んだ子供の魂がしゃんぼん玉というはかないものに表現されているのだ」
「しゃぼん玉は子供を意味しており、屋根まで飛んで、壊れて消えた♪という歌詞は中絶、あるいは子供の死を意味している」

 この不気味な都市伝説、実はまんざら嘘ではない。野口雨情は、このしゃぼん玉という名曲に、幼子の鎮魂の想いをこめている。ではなぜ、野口雨情は子供たちにささげる童謡に悲しみを織り込んだのであろうか。それは、亡くしてしまった実子への鎮魂歌であったと言われている。雨情の娘は、生れてまもなく亡くなっているのだ。野口雨情は、童謡の歌声を天国にいる娘に届けたかったのだろう。子を亡くした雨情は、天国の娘のために、ただひたすらに童謡を作り続けたのである。

「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた 風風吹くな しゃぼん玉飛ばそ♪」
 雨情の娘の魂は、しゃぼん玉になって淡く悲しく消えたのである。

 また「花いちもんめ」も人気の童謡だが、この歌詞も哀しい意味があると噂されている。

「あの子が欲しい、あの子じゃわからん、相談しましょそうしましょ♪」




 この歌詞は人買いを意味しているという。つまり、花である女の子が、一匁(いちもんめ)で売買されていく様を表現しているらしい。或いは村同士の嫁取り交渉が歌になったとも言われている。

 女の子がどこかに行ってしまう歌なら、他にも「赤い靴」がある。この歌は、赤い靴を履いた女の子が異人さんに連れられて、海外に行ってしまう悲しい歌詞となっている。だが実際にこの歌のモデルとなった女の子は日本で病気のためなくなっている。この真相が明らかになったのは、昭和48年 (1973年)11月、北海道新聞の夕刊に岡そのさんという人が

「赤い靴の少女は、あった事のない私の姉である」

 と投稿した事による。この投稿に興味を覚えた北海道テレビの記者・菊池寛氏の調査により、その真相が明らかになった。岡さんの両親は北海道の開拓地に入植する事になるが、困難な開拓地での生活を懸念し、3才の娘をアメリカ人宣教師の養子に出す。だがその女の子は、渡米直前結核に倒れ、孤児院に預けられ、明治44年9月15日に死亡する。

 この事を岡さんの両親は知らず、最後までアメリカで娘が幸せに暮らしていると思いこんでいたという。なおこの話を岡さんの父親から聞いて歌を作ったのが、野口雨情である。なんと「しゃぼん玉」に続き、「赤い靴の少女」も雨情の歌だったのだ。彼はよほど、少女の死に敏感であったのだろう。現在、赤い靴の少女が死亡した孤児院のあった麻布十番には、赤い靴の女の子の銅像がある。

 ある意味、都市伝説より事実の方が凄い事もあるようだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

※画像はイメージ写真

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