平野レミと言えば、真っ先にイメージされるのが料理愛好家として奇抜な料理を披露することだろう。
1985年、NHK『きょうの料理』に講師としてテレビ初出演をした際に、その調理中、完熟トマトを包丁といった器具を一切使用せずに手で握りつぶすという荒業を披露したことで話題となり、クレームも多数寄せられる中で絶賛する紙面が出たこともあって、こんにちまで出演し続けるほどの人気を誇る。
勘違いされやすいが、彼女は料理研究家ではなくあくまで料理愛好家を自称しており、「手間を省いて美味しい料理を作る」「みんなが捨てるような部分でも美味しく食べられるようにする」といった、いわば主婦としての目線で料理と真剣に向き合っているという。
一方で、料理学校にも通ったことが無く、しかもレシピもしっかりと見たことがないと称する、そうした「料理は自由」という独学的思想の下で、時として視聴者の度肝を抜く料理を披露することも珍しくはない。
象徴するものとしては、「おっ立て」と称されるものだろう。これは、普段寝かせられるものを文字どおり立ててみようと試みられたものだという。
2018年1月8日に放送された『平野レミの早わざレシピ』では、大根の土台に焼いた鯛の丸焼きをそのままぶっ刺して(頭部を上向きにした状態で)立てるという「おったて鯛」を披露、ネット中が騒然となった。
これ以上に伝説として語られているのは、2014年10月16日にNHK『あさイチ』内で披露された「まるごとブロッコリーのたらこソース」だ。もうおわかりだろうが、この料理ではブロッコリーが”おっ立て”られてたらこソースがかけられているだけという強烈なインパクトを残すものとなっている。
さらに、この盛り付け中におっ立てたブロッコリーが倒れるというハプニングが発生、共演者たちが我慢の限界で笑い出してしまうほか、視聴者もこの展開には耐えられず、「放送事故」として語り継がれている。
料理愛好家として多くの伝説を残す平野レミであるが、料理を始めたきっかけは1972年に、イラストレーターの和田誠と結婚し、家庭料理に力を入れるようになってからだという。実は、それ以前は歌手、それもシャンソン歌手志望として活動していた経歴がある。
元々、フランス文学者である平野威馬雄を父に持つ彼女は、幼少期から自宅にフランス人やドイツ人が訪問する中で、彼らが持参してくるシャンソンレコードのメロディを聴いて惚れ込み、シャンソン歌手になることを夢見た。
声楽家・オペラ歌手である佐藤美子からシャンソンを学び、1970年にシングル「誘惑のバイヨン」にてデビューを飾った。しかし、「シャンソンは君には早い」というレコード会社の意向があったために、このデビュー曲を含めはじめは流行歌路線に入ることとなった。
シャンソンを歌わせてもらえないことで不満が溜まりながら迎えた4曲目のレコードは、その名も「カモネギ音頭」。シャンソンとはますますほど遠くなっていく上、そのキャンペーン活動として、ネギを入れたカゴを背負って銀座の歩行者天国を宣伝して回って欲しいという要望にとうとう我慢の限界を迎え引退。以来、彼女はレコード歌手生活とは縁を切ることになったという。
わずか2年の歌手生活であったが、歌うことが好きである彼女は、子供が生まれてしばらくはシャンソン喫茶でシャンソンを歌うなど、歌手としての活動自体はおこなっていた。
のちには、念願のシャンソンCDを発表することも叶うこととなるが、そんな中の彼女の悩みは、「普段の喋る声と歌の声がまるで別人」と言われることだという。
【参考記事・文献】
・https://youpouch.com/2014/10/25/233832/
・https://youpouch.com/2018/01/09/484289/
・https://bunshun.jp/articles/-/69715
・https://crea.bunshun.jp/articles/-/39137#goog_rewarded
・https://ruinedeye.com/hiranoremi/
・https://x.gd/FUv8z
・https://remy.jp/column/019
・https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/06/24/kiji/20220624s00041000670000c.html
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【文 ZENMAI】
画像 ウィキペディアより引用
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