木枯し紋次郎は、小説家の笹沢左保(ささざわさほ)原作の時代小説、及びそれを元にしたテレビドラマ・映画作品である。
江戸時代の天保(1830年代)から幕末にかけて、渡世人・紋次郎がアウトローの世界に巻き込まれながらも修羅場を潜り抜け旅を続けるという、戦後の代表的な「股旅物」(またたびもの)として知られる。
渡世人や侠客を主人公に置いた股旅物は、義理人情に厚い渡世人がその義侠心から悪を倒すというのがそれまでの定番となっていたが、紋次郎は貧しい農家に生まれて10歳で国を捨てた天涯孤独の身であり、己の腕と腰の脇差だけを頼りに生きるという、言うなればハードボイルド的な作風となっていた。
名優・中村敦夫扮する紋次郎、1972年にて放送されたテレビドラマ版は、視聴率30%を超えるほどの人気を博し、主人公・紋次郎の決め台詞である「あっしにはかかわりのないことでござんす」は流行語となり、多数のグッズも販売されるほどの一大ブームを巻き起こした。
紋次郎の風貌と言えば、羽織る外套や頭にかぶる三度笠、左頬に残る刀傷、そして口に咥えた五寸ほどの長楊枝だ。なお、あの外套は実のところ当時の江戸風俗に沿ったものではなく、そもそも当時の風俗には無かったものである。
そのモデルは、ウエスタン映画の中でニヒルなガンマンがまとっていたポンチョであるらしく、日本版西部劇として紋次郎を描くために試みられたデザインだったと言われている。
さて、最大の特徴である長楊枝だが、これが特に絶大な影響を世に与えた。
そもそも、「木枯し」という言葉は、楊枝の隙間から吹いた息が木枯らしが吹いているような音であることから呼ばれたものであるという。作中では、その楊枝をプッと吹き出し、壁に刺さるほどの威力を持っており、人を傷つけるようなことはしないが、足止めなどの武器として用いられていたこともあった。
この”細長いもの”を口に咥えるという描写は、当然ながら当時の子供たちの間でもマネする者が多く現れ、楊枝を吹き出す”楊枝飛ばし”を練習していたという人も少なくはないようだ。中には、転んだ時に口に大きなケガを負ってしまうということで禁止令の出た学校もあるのだとか。
そんな紋次郎スタイルのムーブメントは、その後に発表された多くの作品にも及んでいった。例えば、水島新司作の野球漫画『ドカベン』に登場する岩鬼など、番長といった不良のキャラクターが茎の長い葉っぱや串のようなものを咥えている描写は、この紋次郎をマネたものとしてしられている。
元々は、当時の紋次郎人気にあやかったデザインであったが、ブーム以降においてもなお不良キャラの記号(シンボル)として残り続けている。
人間であればまだしも、あるとんでもないキャラクターが紋次郎のマネをしていたこともある。
1973年に発表されたゴジラシリーズの第13弾となる特撮映画『ゴジラ対メガロ』。本作では、劇中にゴジラが木を刀のように持って怪獣を追っ払うシーンがあるのだが、この木の持ち方が紋次郎の刀の持ち方と全く同じだった。
さらに、実際の撮影ではゴジラが電信柱を口に咥え、それを吹き出して地面に突き刺すといった、明らかに紋次郎の長楊枝描写をマネたシーンも撮影されていたという逸話もあるが、流石にこのシーンは完成版ではカットされたらしい。
なお本作では、さらに作中に登場する人物が、「かかわりのねぇこって」という紋次郎の決め台詞を意識したとしか思えないセリフを言うシーンもある。「紋次郎」が、当時いかに絶大な人気を誇っていたのかを物語るエピソードではないだろうか。
【参考記事・文献】
・https://ameblo.jp/inmylifejappy/entry-12844297307.html
・https://ameblo.jp/petit-spfairy/entry-10871987935.html
・https://ameblo.jp/s-fleet-ship001/entry-12814456379.html
・https://anond.hatelabo.jp/20170628122127
・https://x.gd/gi5Np
・https://togetter.com/li/1230632
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【文 ナオキ・コムロ】
画像『木枯し紋次郎(TV番組)1972年 AMAZON Prime Video』