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神宿る島の海底に沈む神殿の跡!?「沖ノ島海底遺跡」の謎

福岡県宗像市に属する沖ノ島は、2017年7月に世界遺産に登録された玄界灘の沖合に位置する孤島である。通称「神宿る島」とも呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮の御神体となっており、かつては女人禁制や男性の現地大祭での上陸制限、島内で見聞きしたことの口外禁止など多くの禁忌が唱えられていたが、世界遺産登録後には研究者を除く一般人の上陸が本格的に全面禁止となった。

沖ノ島は、『日本書紀』において宗像の地に降り立ったという三女神の伝説が残る神聖な場所として知られ、また九州と朝鮮半島の間に位置していたことから、隋や唐の時代には航行する船が沖ノ島の位置で方角を定めていたとも言われている。

また、沖ノ鳥島は祭祀のために奉納された奉献品が大量に出土した島でもある。

岩上祭祀遺跡、岩陰祭祀遺跡といった遺跡群が存在しており、ペルシャ産のガラス盃、金星の指輪など、その出土品の数はおよそ8万点にも及ぶという。シルクロードを経由してもたらされた品々も多いとされ、さらにそれらの多くが国宝に指定されていることから、数多くの歴史的美術工芸品を収蔵する奈良の正倉院になぞらえて、「海の正倉院」とも呼ばれている。

さて、そんな沖ノ島にはもう一つ注目すべきものが存在している。それは、ずばり「沖ノ島海底遺跡」と呼ばれるものだ。沖ノ島付近、島の北東部あたりに位置するとされるこの海底遺跡は、直径6m、高さ30mにも及ぶ4本の石柱が並んでおり、しかもそのうちの1本には螺旋状の階段が作られているという明らかに人の手が加わったと思える痕跡が残されている。

このことから、この海底遺跡は神殿だったのではないかと考えられた。いつ頃に形成されたものであるかは不明であるが、少なくとも旧石器時代の時点ではこの近辺が陸上であったことがわかっている。

また、この海底遺跡からはあるものが発見されている。それは、頭に水鳥のような飾りをつけている二体の人間と思しき像だ。それぞれの像は女性であることを思わせる胸の膨らみを持っているが、一方はさらに男性器と思われるものも備わっており、両性具有を思わせるデザインとなっている。

この二体の像が、海底にまだ眠っている他の像のほんの一部に過ぎないものであるのか、それすらも現在ではまだわかっていない。

神話の解釈において、地球外生命体が古代の地球に到来し知恵や技術を与えたのではないかといった説があり、この海底遺跡もその発見された柱や像といった痕跡から、同様に捉えられる意見は当然ある。だが、それ以上に、これらの発見は神話の記述に関連するなんらかの裏付けに繋がるのではないかとする考察もなされている。

先の宗像三女神は、神話の中でも非常に重要な存在として捉えられている。

天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)を行なった際、天照大神によって素戔嗚尊の物から生み出されたのがこの三女神であり、もう一方素戔嗚尊が天照大神の物から生み出したのは五男神であった。

この五男神の長男である天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)が息子の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に進言し、天降ることになったのが天孫降臨だ。このことから、三女神は日本の誕生にも非常に近い存在であったことが見て取れる。

さらに、三女神は共に祀られている際に道主貴(ミチヌシノムチ)という尊称がなされることがある。日本神話において、「高貴な人物」を表す貴(ムチ)が名前に備わっている神は非常に少なく、三女神のほかには天照大神を表す大日孁貴(オオヒルメノムチ)、大国主命を表す大己貴(オオナムチ)のみとなっている。

つまり、三女神は高天原を治める最高神と、そして今の日本である葦原瑞穂之国の国造りをなした神と、同等と言えるほどに重要視されていたと考えられている。この日本の誕生にまつわるパズルのピースとして、海底遺跡とそこで発見された遺物が関係しているのではないかという期待がなされるのも当然の流れだ。

その意味でも、沖ノ島海底遺跡は今後の調査が大いに期待される遺跡の一つであると言えるだろう。

【参考記事・文献】
https://x.gd/1vew6
https://lunabura.exblog.jp/15250191/
https://x.gd/ZSaN2
https://www.okinoshima-heritage.jp/know/ritual.html
https://x.gd/s3G8q
https://yaoyorozunihon.com/amaterasusanoukankei-2084/

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【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用