日本に存在する湖で最大の面積を誇る滋賀県の琵琶湖。最大水深104メートルもの深さになるこの湖は、古くから湖上交通が発達し、また漁撈の場としても栄えて独特の文化が築かれていった。だが、琵琶湖の歴史は湖上にのみあるのではない。より遡った時代の痕跡がその湖底には眠っている。
現在までに、琵琶湖の湖底で確認されている遺跡の数は実に80余りを数える。これらの遺跡は、かつて陸上にあったものが水位の上昇あるいは地盤沈下によって水没したものであるといわれている。
湖底や湖岸で発掘された遺跡は縄文・弥生時代のものが非常に多く、針江浜遺跡では弥生時代の集落がほぼそのままの状態で発見されており、長命寺湖底遺跡では縄文時代の丸木舟と櫂が発掘され、さらに粟津湖底遺跡では、国内最大級の淡水貝塚が見つかっている。
こうした数々の貴重な遺跡の中で、最も注目されているのが「葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡」だ。この遺跡は、葛籠尾崎の東沖におよそ70メートルの湖底に存在するもの。
1924年、地元漁師がイサザ漁を行なっていた際に底引き網を引いたところ、いくつもの縄文や弥生の土器が引き揚げられたことが遺跡の発見につながった。その後の調査によって、縄文・弥生に留まらず、古墳時代、奈良時代、平安時代など様々な時代の土器が引き揚げられるに至った。
発見されたのは土器だけではなく、壺や甕、須恵器、磨製石斧など多種に及ぶ。興味深いのは、それらの殆どの遺物に風化が見られなかったことだ。これは、葛籠尾崎周辺に河川が無く、土砂の堆積が無いために沈んだままの状態で保たれていたことや、湖底の泥などに含まれる鉄分が付着することで鉄のカバーが形成されたことも大きいという。
この葛籠尾崎海底遺跡は、一体なぜそのような大量の土器といった遺物が湖底に残されていたのかについて現在でもハッキリとした結論が出ていない。
初めて発見された大正時代以降、地殻変動によって大規模な地滑りが起こったという説、難破した船の荷物が沈んだという説など、多種多様な説が唱えられた。少なくとも現時点では、土地が陥没した痕跡が発見されていないということがわかっており、また発見された土器の多くに損傷の痕が無いということから、湖上の遺跡に波が浸食し土器が湖中へ流出したという可能性も否定されている。
その他に考えられた説としては、湖上で暮らした人々の址だったという説、あるいは水中に土器などを投げ入れてたという説がある。葛籠尾崎の南には、琵琶湖にある島の中で2番目に大きい竹生島が浮かんでおり、古来から神の棲む島として信仰されてきた歴史がある。この竹生島の信仰に基づき、土器を投げ込む奉納といった儀式が行われていたのではないかとも考えられている。
【参考記事・文献】
滋賀湖北町葛籠尾崎湖底遺跡
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/tsuzurakotei.html
琵琶湖に隠された秘密。世界一深い水中遺跡・葛籠尾崎湖底遺跡
https://x.gd/429te
琵琶湖に眠る水中遺跡魅力発掘・発信事業スタート!
https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/oshirase/339003.html
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用