2016年5月に放送開始60年を迎える『笑点』。
あと1ヶ月足らずで、ついに半世紀となる超長寿番組だが、歴史が深いだけにお茶の間で見ているだけでは気がつかない事実も多い。
『笑点』の青い着物の回答者といえば、三遊亭小遊三である。
大喜利ではいつも下ネタを連発したり、他のメンバーから「痴漢」、「楽屋泥棒」などと犯罪者扱いされることが多い「おもしろおじさん」ではあるが、なぜ彼が常に「犯罪者」扱いされるのか明確な答えを出せる人は少ないかと思われる。
ズバリ正解を言ってしまうと、小遊三は昭和を震撼させた凶悪犯罪者「川俣軍司」に顔がそっくりだったのである。
川俣軍司は、1981年6月17日に発生した「深川通り魔殺人事件」の実行犯で、江東区の商店街の路上で主婦や子供など4名を包丁で殺害。
ひとりの女性を人質にとり、商店街内の中華料理屋に立てこもった。攻防戦の末、人質は無事に解放されたが、川俣はブリーフパンツ一丁にハイソックス、猿轡をかけられるという実に情けない格好にて逮捕。その姿はテレビ中継され全国に放送され日本中に「川俣軍司」の名が響き渡ったのである。
「深川通り魔殺人事件」が発生したのが1981年でその2年後の1983年には太地康夫主演でテレビドラマが放送され高い視聴率を叩き出し、同時期には全盛期のビートたけしも川俣軍司を茶化すネタを頻繁に行っていたことから「深川通り魔殺人事件」および「川俣軍司」の名は日本国中で高い知名度を誇っていたのである。
そんな川俣ブームの最中の1983年、三遊亭小遊三は『笑点』の大喜利メンバーに抜擢。この頃は小遊三も新人だったので、キャラ付けのため高座やテレビで「川俣軍司のモノマネ」を披露しており「小遊三=犯罪者」のイメージがメンバーのなか根付いてしまったのだ。
なお、「深川通り魔殺人事件」はいまだオカルトの世界では一種の都市伝説として語られることも多い事件でもある。
現在ネットで日常的に使われる「電波」は、川俣が「電波でひっついてる役人を全員連れて来い!」と警察に発した言葉が元になっているほか、ウソかマコトか不明ではあるが、川俣軍司の祖父は戦前に殺害されており、川俣の祖父を殺した加害者が川俣が殺害した女性の祖父だった、といった都市伝説が残っている。
文:大森エビフライ