西郷輝彦は、歌手・俳優として活躍した人物である。橋幸夫や舟木一夫と共に歌謡界における御三家と称されるほどのアイドル的な人気を獲得し、1966年に発表された『星のフラメンコ』は大ヒットを記録、その後、テレビドラマ『どてらい男』にて主演を務めたことで俳優としての地位を確立。
晩年は癌の闘病を継続する中でYouTubeの開設などなおも意欲的な活動を展開し、2022年2月に75歳でこの世を去った。
歌手としての人気は凄まじく、当時所属していたクラウンレコードにあやかって「クラウンの救世主」と称され、また1965年に鹿児島県で開催されたチャリティーショーでは、1万人を超える観客が殺到し死傷事故が発生してしまったほどだったという。
「どてらい男」以来俳優業がメインとなったことで、歌手としての西郷輝彦を知らない人も多くなっていき、時折歌番組に出ると、「西郷さんは歌も上手なんですね」と言われたこともあったそうだ。
因みに、彼のシングル「真夏のあらし」はその間奏に発せられる「ワァオ!」といった声が、90年代になってコサキン(小堺一機・関根勤)の番組でよくネタになり、のちに改題によって「コサキンDEワァオ!」というタイトルにまで用いられた。
俳優としては、映画『小説吉田学校』の出演も象徴的なものであった。森繁久彌演じる吉田茂の、第二次吉田内閣から辞職までを描く、実在の政治家たちによる戦後政治史を描いた作品である本作において、西郷は田中角栄を演じた。
西郷はかねてより田中を演じたいと切望していたと言われており、田中特有の嗄(しゃが)れ声やその話し方など、非常によく似せた演技が話題となった。
さて、よくバラエティなどで、名前が似ているためにいまいち区別が付けられないとネタとして話題になる有名人がいる。
役所広司と別所哲也、竜雷太と峰竜太などが有名だが、あくまでこれは名前が似ているということにあやかったものであり、それぞれが10歳ほどの年の差もあって見た目も大きく異なっている。
西郷輝彦もこうした例の一つに名を連ねることがあり、その相手となるのがあおい輝彦だ。
あおい輝彦と言えば、ドラマ「水戸黄門」で12年に渡り佐々木助三郎(助さん)を演じたことでも知られる俳優であるが、両者は共に同じ字の「輝彦」であるほか、年齢もあおいの方が1歳年下という年齢の近さに加え、その顔立ちもどこか似ているとの評判から、同一人物ではないかと囁かれたこともあったそうだ。ネットにおいては、西郷輝彦の画像を検索するとあおい輝彦が出てきてしまうという例まであったと言われている。
経歴も似ており、西郷がはじめ歌手としてデビューしているのと同様、あおいも元々アイドルグループ・ジャニーズの一員としてデビューしており、その後になって俳優としての頭角を現している。
特に、主だった活躍時期が60~70年代と重なっていることも相まって、両者を混同あるいは兄弟だと思い込んでいる人が意外と多いようだ。
因みに、あおい輝彦は苗字をひらがなにしただけで本名は同じ読みであるが、西郷輝彦は全くの芸名であり「今川盛揮」(いまいせいき)が本名である。「西郷」は、かの西郷隆盛にあやかって付けられたものだったが、彼が役者として念願の隆盛役を演じたのは、鹿児島テレビ放送開局40周年記念ドラマ「南洲翁異聞」が放送された2008年だった。
【参考記事・文献】
西郷輝彦とあおい輝彦が似てると言われる理由と見分け方!違いと比較
https://tame.jpn.org/1825.html#toc3
西郷輝彦さん死去 75歳 放射線、抗がん剤治療など14回…壮絶がん闘病11年
https://hochi.news/articles/20220221-OHT1T51216.html?page=1
西郷輝彦さんに感じた爽やかさ “いい人オーラ”あふれるから人気が続いたのだ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/362860#goog_rewarded
映画「小説吉田学校」(1983)を再見。オールスターの政治群像劇。
https://fpd.hatenablog.com/entry/2023/05/29/140005
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 右:『永久保存盤 西郷輝彦 スーパー・ベスト』 左:『あおい輝彦 ゴールデン★ベスト』