舟木一夫と西郷輝彦と共に歌謡界の「御三家」と称され、アイドル的な人気を獲得した橋幸夫。1960年にビクターレコードより発売された「潮来笠」は、彼のデビュー曲であると共に代表曲ともなり、この楽曲により日本レコード大賞新人賞を受賞し、紅白歌合戦にも初出場を果たした。2023年に歌手活動から退いたものの、書画の個展を開くなど芸能活動は続行している。
美空ひばりや松田聖子など、歌手が襲撃に遭遇するという例はいくつかあったが、橋にもそのような出来事が起こっていた。
1963年、当時人気絶頂の真っただ中にいた橋であるが、石川県金沢市の観光会館で開かれたショーの最中に、軍刀を持った男に襲われ全治2週間のケガを負ったという事件が起こった。
当初観客は、これを演出の一貫だと思っていたようだが、司会者の後頭部に攻撃が加えられ出血したことで事態を把握した会場は騒然となり、数人がかりで取り押さえられたことで男は警察に連行された。動機は、言うなれば自暴自棄と言ったところではあるが、橋が逃げるだけではなくボクシング経験から果敢に立ち向かったことが、最悪の事態を回避できた決め手になったとも言われている。
さて、そんな波乱がありながらも、スター歌手としての地位を獲得した橋。彼の本名は、同じ読みでありながら「お」の字が異なる橋幸男だ。いわば夫表記の橋幸夫は芸名であるが、実のところ彼はのちに御三家の一人でもある「舟木一夫」の名前を名乗るはずだった。
話は、彼のデビュー前に遡る。戦後か妖怪を代表する作曲家の一人と称された遠藤実といえば、橋幸夫をはじめとして千昌夫や森昌子などの歌手育成を手掛け、山本リンダ、こまどり姉妹、渥美二郎などの楽曲も手掛けた人物だ。
元々、橋がボクシングの心得があったのは、学生時代に悪童で名が知れていたためであり、このことを気にかけた母親が、彼を歌謡教室に通わせたのが橋と遠藤の出会いだった。余談ではあるが、遠藤はかつて「星幸男」という橋の名とあまりに酷似したペンネームで作曲活動をしていたことがあった。偶然とはいえ、これが両者の縁を強くしたとも言えるだろう。
3年通った末に橋は、コロンビアでオーディションを受けることとなった。しかし、結果は残念ながら不合格となってしまった。だが、橋の能力を信じた遠藤は、橋をライバル社であるビクターのオーディションに向かわせることとなり、見事合格を果たした。だが、ライバル社であるということは、すなわち恩師である遠藤のもとを去らなければならいことを意味していた。
この時遠藤は、コロンビアで合格した際に橋へ付けようとしていた芸名が用意されていた。それが、なんと「舟木一夫」だった。のちに、『高校三年生』でデビューをした舟木一夫の名前をタクシーで移動中のラジオで聞いた橋は、「俺の名前だ!」と驚いたという。
橋が舟木一夫を名乗っていたら、「潮来笠」も「高校三年生」も、そして御三家と呼ばれる未来ではなく、また異なった未来に変わっていたのかもしれない。
【参考記事・文献】
橋幸夫63年の歌手生活にピリオド 本当は「舟木一夫」でデビューの予定だった/アラカルト
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305010001168.html
【あの時・日本レコード大賞<2>】橋幸夫「舟木一夫」でデビュー予定だった
https://hochi.news/articles/20191216-OHT1T50112.html?page=1#goog_rewarded
公演中に軍刀を持った暴漢に襲われた橋幸夫
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/142827
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【文 ナオキ・コムロ】
画像 ウィキペディアより引用