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国会も動いた?!スーパーアイドル「光GENJI」人気絶頂期、スゴ過ぎた名声

光GENJIは、1987年に結成および「STAR LIGHT」にてレコードデビューしたジャニーズ事務所所属のアイドルグループ。

内海光司、大沢樹生からなる「光」と、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓からなる「GENJI」の2グループが合体したことで誕生した男性7人組のグループであり、ローラースケートを用いたパフォーマンスなど、社会現象を巻き起こすほどの人気を獲得し、「(昭和)最後のスーパーアイドル」とも呼ばれている。アニメ「忍たま乱太郎」の主題歌「勇気100%」の歌唱を担当したことでも有名だ。

その人気はあまりにも凄まじく、それによる数々の伝説を生み出している。

冒頭でも触れたローラースケートについては小中学生を中心に大流行し、売り切れ店が続出した。藤井フミヤがアメリカでのレコーディングを終えて帰国すると、周りがローラースケートに乗った人たちばかりで仰天したというような逸話も残っている。

俳優の小沢仁志には、メンバーの一人である諸星を廊下でシメたというような伝説が語られているが、近年での説明によれば、諸星が廊下でローラースケートに乗り練習したところ小沢にぶつかってしまったが、諸星が謝らなかったために突き飛ばしたというのが真相とのこと。諸星によると、「当時はしょっちゅうあった」と他にも余罪があったことをほのめかしている。

クラスの女子は必ず光GENJIの誰かしらのファンであり、男子の中ですらファンが珍しくなかったと言われているが、男子の間で流行したのは何と言っても「バク転」だ。純粋にできれば「かっこいい」ということもあり、学校では廊下や校庭などいたるところでバク転の練習をしていた生徒たちばかりだったと言われている。

なお、赤坂と敦啓は、デビュー後しばらくはまだバク転を苦手としており、紅白歌合戦初出場前にやっとマスターしたらしい。一説には、バク転が綺麗な順イコールダンスが上手い順とも言われている。

初対面の人でも光GENJIの話題を出せば仲良くなれるとさえ言われていたほど世間的に浸透しており、中でも新曲をいち早く覚えて歌えた人は自慢し、かつ称賛されていたとも言われている。当時、テレビの歌番組前に新曲情報をゲットする手段としてラジオが重要なツールとなっており、曲紹介を聞き逃さないためにかじりついていたリスナーも数知れない。

デビュー楽曲をチャゲ&飛鳥が提供したという背景もあり、『パラダイス銀河』『ガラスの十代』『Diamondハリケーン』など、発表曲が次々を大ヒットを飛ばしていく中、発売されたレコードは入荷と同時に完売してしまい、生産が追い付かず紙面にお詫びの広告が掲載される事態にもなっていた。

ファンの熱狂もすさまじく、公開収録の歌番組に光GENJIが出演すると、あまりの歓声に司会の会話や進行がままならなくなってしまうほどであった。1988年に放送された『歌のトップテン』にて、実際に騒音計で測定がなされたところ、電車が走行中のガード下と同レベルという数値(およそ100デシベル)を記録したとの逸話もある。

男性アイドルといえば、バレンタインデーのチョコの量の話題がお約束にもなっているが、光GENJIの場合は1988年で11トントラック4台分、翌1989年には、20台分のチョコが事務所に殺到したと言われている。最寄りであった渋谷郵便局は、全国から送られてきた山のような小包によってパニックに陥ったという。

光GENJIのバレンタイン報道は、メディアでも毎年のように取り上げられており、1995年には前人未到のトラック745台分のチョコレートなどと報じられたそうだ。だが、悪質な贈り物事例も増加していったことによって、ジャニーズ事務所はこれ以降、ファンレター以外の贈り物を全面的に禁止とし、食品も焼却処分することを発表している。

また、人気アイドルともなれば、「親衛隊」と呼ばれるファン集団の存在は欠かせない。光GENJIも例外ではなく、全国に多数存在していたが、事務所からの「親衛隊という名称はイメージが悪い」というお達しによって通称「応援グループ」と呼ばれていた。そのグループのリーダーになればタレント本人に会える、と言った怪情報も出回り、さらには最大級のグループであった『紫SHIKIBU』と『清少納言』が対立しているといった噂もあった。

なお、光GENJIによって国会が動いたこともある。

これは、デビュー当時13、4歳のメンバーがいたことで、児童の深夜業禁止という労基法に基づいて出演の制限がなされていたことに対し、国会が「歌や演技は代わりができない、表現者をみなす場合は労基法を適用しない」とする通達が出された出来事だ。この通達は、言うなれば光GENJIのために出された通達であるとも言われており、「光GENJI通達」とも称されている。

現在におけるAKB人気と比較されることもあるようだが、時代背景ということもあってか、AKB級もしくはそれ以上という評価がなされることも珍しくはない。まさしく、光GENJIは昭和から平成にかけての時代の寵児であった。

【参考記事・文献】
光GENJI “最強アイドル” が芸能史に残した「7つの伝説」
https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/99c85c41b28f
全盛期の光GENJIはどれくらいすごかったか? 当時の人気ぶりを解説。
https://information-parks.com/lifehack/hikaru_genji_break/#3
光GENJI時代の諸星和己を「シメた」伝説!小沢仁志が真相を告白 余罪にも言及
https://www.daily.co.jp/gossip/2023/11/27/0017071758.shtml

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【文 ZENMAI】

画像『光GENJI