【文珍都市伝説】晩年の立川談志は笑福亭鶴瓶と桂文珍見分けがつかなかった!

今や、関西落語の重鎮となった桂文珍だが、あまりにも英気あふれるため、幾つかの伝説が残されている。

まず飛行機の操縦免許を持っており、セスナ機を購入したことや島田紳助との不仲伝説が有名だ。紳助がまだ新人だった頃、挨拶をしたにも関わらず、無視したため、紳助の引退まで両者一切口をきかなかったと言われている。

しかし、その性格は優しく、弟子の桂文春が41歳の若さで亡くなったときは、

「入門させてくれって言って来たときはラメ入りのけったいなジャケット来てきて、『なんやそれ』って思たけど、逝くときも『なんや、それ』てな」

という追悼の言葉を発し、周囲の涙を誘った。




また、芸名は師匠の小文枝が物を書いていた時に、紙を押さえていたので文鎮(文珍)となったと言われている。

ちなみに立川談志は晩年、笑福亭鶴瓶と桂文珍が見分けがつかなかったらしく、楽屋に挨拶に来た文珍に「上岡(龍太郎)は元気か?」と言って鶴瓶と番組を一緒にやっていた人間の名前を出したり、病室に見舞いに来た鶴瓶が帰ると「文珍は腕があるな」と絶賛していたとされている。

(すぐれいち恭介 ミステリーニュースステーション・アトラス編集部)

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