昭和50年代の広島カープ全盛期を飾った衣笠祥雄が、大腸がんにより71歳で亡くなった。読売巨人軍のファンであった筆者としては、赤ヘル軍団の山本浩二や衣笠祥雄に苦しめられた記憶があるが、敵ながらあっぱれな選手であったことは間違いない。寂しい限りだ。
衣笠の思い出を語りながら、広島カープに関する都市伝説をいくつか紹介しよう。
一部の広島カープファンの中で、まことしやかに語られている「広テレの呪い」というものがある。これは広島県のテレビ局である広島テレビがカープ戦を中継するとかなりの確率でカープが負けると言うものだ。勝つ場合でも、広島テレビの中継が入っている間は苦戦し、中継が終わった後に逆転をするなど不可解な現象が、多々確認されているのだ。もちろん、単なる噂話に過ぎないが、広島カープファンの間では固く信じられている。
他にも広島市内で個人タクシーに乗って、広島カープの悪口を言うと山の中に連れていかれて、運転手から説教を受けると言う都市伝説がある。この都市伝説に関しては、筆者は広島ホームテレビの人気番組「アグレッシブですけど何か?」と言う番組で実験させられたことがある。結果としては、非常に紳士的に広島カープの魅力を説いていただき、広島カープのことが好きになってしまった。広島カープに関する良い思い出である。
それにしても、鉄人と呼ばれた衣笠の死去は寂しい限りだ。歴代3位となる161個のデッドボールを受けながらも相手のピッチャーに怒ることがなく、常に紳士であり人格者であった。連続試合出場は2215まで伸ばして引退したが、左肩を骨折しても出場を続けた文字通り「鉄人」であった。プロ野球では王貞治に続き2人目となる国民栄誉賞を受賞し、レジェンドと言っても良い存在だ。
衣笠の「鉄人」と言う愛称の由来は、当時の背番号が28番であり、横山光輝原作の昭和の人気アニメ「鉄人28号」から名付けられた。
衣笠の人柄をうかがえるエピソードがある。1979年8月1日対巨人戦でピッチャーの西本聖からデッドボールを受けてしまい、左の肩を骨折した。連続出場記録を継続するため翌日の試合では代打として出場した。だが、巨人の江川卓のピッチングの前にフルスイングで三球三振してしまう。その時のコメントが泣かせる、「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のためにフルスイングしましたよ」と語り、自らにデッドボールをぶつけた巨人の西本のことまでも思いやったのだ。
また一人、昭和のプロ野球を支えたヒーローがこの世を去った。鉄人・衣笠幸雄よ。思い出をありがとう。
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“鉄人”衣笠祥雄さん(71)死去 連続出場世界記録(18/04/24)
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像『鉄人のひとり言』