南沙織は、1970年代初頭に活躍した元アイドル歌手。日本人離れした歌唱力と美貌で絶大な人気を誇り、同時期にデビューした天地真理や小柳ルミ子とともに「新・三人娘」と称された。
彼は、当時アメリカの統治下にあった沖縄で生まれ育ち、13歳の時に琉球放送の「オキコワンワンチャンネル」の番組アシスタントを務め、その後沖縄返還の機運が高まったころに本土の芸能関係者が沖縄の新人タレントに注目し始めたこともあり、ソニー・ミュージックレコーズの関係者からスカウトを受けて上京。
上京してわずか3ヶ月後にリリースされたシングル「17才」が54万枚を売り上げる大ヒットとなり、レコード大賞新人賞、NHK紅白歌合戦の初出場を果たし、ブロマイドの売り上げも年間1位を記録した。
しかし、人気絶頂のさなかの1978年、自身の誕生日である7月2日に学業へ専念することを理由に引退を表明、10月7日に調布市市民福祉会館でラストコンサートを行ない芸能界を引退した。
現在、女優やファッションモデルとして活躍する南沙良がいるが、親子ではないかとする説が時折囁かれているという。確かに、南沙織には3人の子供がいるもののすべて息子であり、娘は一人もいないことから、両者が親子関係に無いことは決定的だろう。
この噂が浮上したのは、おそらく「織」と「沙」という漢字が一字だけが違うということが最大の理由であることは間違いないだろう。しかし、それ以外でも要因となったものがあったのではないかと考えられる。
南沙織は1974年に結婚しているが、相手は4thシングル「純潔」の撮影を行なった写真家の篠山紀信であった。そして、南沙良の父親はなんとプロのカメラマンだったという。カメラマンと写真家は厳密に言うと異なっているものの、写真・カメラを扱っていたという似通ったイメージから「南沙織の夫=南沙良の父」という印象も生まれたのではなないだろうか。
ちなみに、南沙織はデビュー時から「フィリピン人とのハーフ」と言われているが、これも事実ではない。確かに南の父親はフィリピン人となっているが、これは母親の再婚相手であり、彼女が生まれた時の父親は日本人である。「その美貌ならハーフであってもおかしくない」というような印象が、このハーフ説を補強させる形になったことは間違いないだろう。
【参考記事・文献】
・https://newsmatomedia.com/minami-saori#i-3
・https://mantan-web.jp/article/20220322dog00m200017000c.html
・https://arty-matome.com/I0004956
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【文 イトフゆ】