野村義男は、ギタリスト・音楽プロデューサー・ナレーターなどで活躍する人物。1977年にジャニーズ事務所へ入所、1979年、15歳の時に『3年B組金八先生』に出演したことでブレイク、田原俊彦と近藤真彦らとともに「たのきんトリオ」として活躍した。
「ヨッちゃん」と呼ばれ親しまれ、笑顔が似合うギタリストとしても知られる。
浜崎あゆみのバックバンドを務めたことがあるほどギタリストとしての腕は非常に高く、また自身も把握できない本数のギタークレコションを有するほど(数百はあるという)だ。ギターの見た目はおろか、ビスを見ただけで「何年製のもの」といった具合で話を広げられるというオタクぶりであるという。
彼がギターを始めるきっかけになったのは、小学生の頃。姉から無理やりギターのコードを教えられたことに始まる。そして、中学生の頃に好きだった子がギタリスト・シンガーソングライターであるCharのファンだったことで、彼の曲を聴いてエレキギターにのめり込んでいったという。
本格的にギターにハマったきっかけとなったCharを、野村は師匠と仰いでおり、「Charの弟子」を自称するほどだ。
ギターを愛するその一方で、ジャニーズ時代の踊りのレッスンには全く興味が持てないでいた。そこでジャニー喜多川に、ギターを持って歌いたいと直談判をしたところOKをもらったこともあったとか。
自らが言う「ギターにしか興味がない」を、当時から現在に至るまで貫いていることがよくわかるエピソードだ。


ところで、冒頭で触れた「金八先生」の出演についてだが、実はもともとたのきんのメンバーが出演する予定ではなかったという。
番組開始時にお馴染みだった、武田鉄矢(金八)の「3年B組!」という掛け声、直後に生徒たちが「金八先生ー!」と大声で言いながら集まってくるシーン。実はこの生徒たちの中にたのきんの3人はいない。また、主題歌である「贈る言葉」をバックに金八が生徒たちと挨拶を交わすオープニングムービーの中にも、3人は一切登場していない。
本編をよく見てみると、たのきんの3人の席は教室の後ろに配置されているのだが、そうした事情を踏まえると後から緊急で用意されたということがわかる。野村いわく「ジャニーさんが頑張ってくれたと思う」とのこと。
このジャニーの「一押し」がなければ、野村をはじめたのきんが世に出ることはなかったということだ。
【参考記事・文献】
・https://futabasha-change.com/articles/-/1135?page=1#goog_rewarded
・https://yumelab3.com/archives/4131
・https://asajo.jp/excerpt/97591#goog_rewarded
・https://bassguitarband.com/nomura-guitar/
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【文 黒蠍けいすけ】
画像『野村義男の“思わず検索したくなる”ギター・コレクション還暦記念増補版』