サブカル

「もんたよしのり」ヒットするとは全く思わなかった『ダンシング・オールナイト』

もんたよしのりは、ハスキーボイスと圧巻の声量で知られたシンガーソングライター・歌手である。

1980年にリリースされたもんた&ブラザーズ名義の『ダンシング・オールナイト』は、彼の代表的かつ大ヒット曲であり、日本レコード大賞金賞、日本歌謡大賞放送音楽特別賞、全日本有線放送大賞といった、数々の賞を総なめし、NHK紅白歌合戦の出場にもつながった。

神戸に生まれ、中学生の頃に工作の授業で作った鉱石ラジオの受信に成功した時、たまたまビートルズの「I Want To Hold Your Hand」(抱きしめたい)のメロディが流れてきて以来、音楽にのめり込むようになったというもんた。

高校を中退して後、1971年に上京してソロ歌手としてデビューするも、評価は鳴かず飛ばずの状態だった。この挫折によってもんたは、地元神戸へ帰り実家の布団店を手伝って生活していた。

そんなある時、NHKのドキュメンタリー班と知り合い、数ヶ月後に「ミュージシャンの下積み生活をドキュメンタリー番組にしたい」「もう一回東京に出てこないか」という連絡が来た。音楽活動を諦めきれなかったもんたは、再度挑戦することを決意し1977年に再び上京、北島音楽事務所に所属した。

ただ、所属して2年ほどは曲をひたすら書き溜めるという指示だけが与えられていた。ボロアパートに籠って何百という数の曲を作り、その後にオーディションでバンドメンバーを集め、大量の曲の中から発表できる5、6曲を選んだ。その中に、あの「ダンシング・オールナイト」があった。

ところが、もんた当人によれば後に大ヒットを記録するこの曲に対する、完成時の思い入れなどは特に何もなかったという。

そもそも、この曲もライン工のごとく「できた、ハイ次」という書き溜めの中の一つにすぎず、良い曲ができたという実感は一切無かったという。それどころか、もんた自身は「ダンシング・オールナイト」のリリース時「これが最後のレコーディングになるだろう」と非常に弱気だった。

それが、蓋を開けてみれば秋田から始まり次々と各地で1位を記録、その後音楽番組「夜のヒットスタジオ」に出演した翌日には、出歩いていた駅前で警察に助けられるほどの人だかりができたという。

結果、10週連続で1位を記録する大ヒットとなり、彼も「ようやく売れたんや」と実感ができたという。

【参考記事・文献】
https://www.asagei.com/excerpt/286492
https://www.sanspo.com/article/20190702-E6V2RPENPFI6ZF5R6WMG4B6VBQ/
https://www.sanspo.com/article/20190709-EBQRVFFAKJMTLMZU3ZNJNZT3XQ/

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『DANCIN’ ALL NIGHT ダンシング・オールナイト [7″ Analog EP Record]