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水谷豊「傷だらけの天使」出演オファーで役者を辞めることを思い直した話

『傷だらけの天使』(傷天)は、1974~75年に放送された、萩原健一・水谷豊出演のテレビドラマである。

探偵家業の若者2人による事件の遭遇、怒り、そして挫折を描いた探偵ドラマで、萩原が起床直後、トマトやコンビーフなど朝食をむさぼるオープニングムービーはあまりにも有名だ。

傷天は、萩原が企画段階から参加していたこともあり、随所に萩原のアイデアやアドリブが様々に用いられている。

先の朝食をむさぼるというオープニングも萩原の提案であるが、時には撮影後にアフレコでセリフを差し替えることもあったという。

その中で注目すべき点は、やはり水谷のキャスティングだろう。

傷天における、萩原扮する木暮修(アニキ)と水谷扮する乾亨(アキラ)の兄貴・子分関係は、アメリカの映画『真夜中のカーボーイ』に登場するジョーとラッツォの若者コンビを模倣している。

修役は早々に萩原に決定したもののアキラ役は難航し、火野正平や湯原正幸といった名前が挙がったものの、監督だった恩地日出夫がイメージに合わないと言って納得しなかった。

そんな中で萩原が推薦したのが水谷だった。

両者は、『太陽にほえろ!』で共演したことが一度だけある。それは、1972年7月21日放送の「マカロニ刑事登場!」、記念すべき太陽の第1話だ。

マカロニ刑事とは、萩原が演じる早見淳の呼び名であり、この第1話で萩原が追っていた犯人役だったのが水谷だった。ひたすらに逃げる水谷を萩原が追いかけるシーンは、強く印象に残る名場面として知られる。

萩原の推薦は、役者としての水谷の誠実さとひたむきさを評価してのことだった。実はこの頃、水谷は役者を辞めようと考えていた時期でもあった。そのタイミングで傷天のオファーを受けた水谷は、「傷天が終わったら辞めよう」と考え直したという。

また、傷天はその最終回も語り草となっている。肺炎で倒れたアキラを修は一度見捨てるも、見捨てきれずに薬を持って戻ってきたその時は、すでにアキラは息絶えていた。ラストシーンで修はアキラの亡骸をリヤカーで運び、夢の島(ゴミの山)に置き去って本作は終焉。

実は、傷天の脚本に携わっていた市川森一による脚本集『傷だらけの天使』が後年に発売されているが、その内容は土砂降りの雨の中、アキラの死体を背負いながら語り掛ける修が鉄階段を降りていくシーンで終わっている。つまり、リヤカーのシーンは当初の脚本には無かったものだった。

本作のベースになったという「真夜中のカーボーイ」でも、相方が最後に息絶える描写がある。しかし、こちらは置き去りにすることはなく、そのまま共に車を走らせ去っていく描写で幕を引いている。

また、萩原の自伝の記述によると、このラストシーンはポーランド映画『灰とダイヤモンド』の影響を受けたという。

反体制のテロリストである主人公のマチェクが最後、軍によって射殺され、ゴミ山の中で息絶えるというラストを迎えるのだが、確かに重なる点がある。ただし、修がゴミ山で息絶えたというわけではなく、そもそもが見捨てた子分のアキラの死体を遺棄したという点では独自のセッティングだったと言える。

それは、中途半端でカッコ悪く、情けない役柄であった修という人物を最後の最後まで晒し続けるという萩原の意図があり、それがリヤカーでの亡骸の遺棄という形でラストを締めくくる理由だったのかもしれない。

【参考記事・文献】
https://note.com/kind_auklet161/n/n0fee398a7ccc
https://itawind.web.fc2.com/1970/taiyou/taiyounihoero001.htm
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/07120617/?all=1#goog_rewarded
https://diamond.jp/articles/-/356507

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【文 ZENMAI】

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