水谷豊といえばテレビドラマ『相棒』の杉下右京役をはじめとして、これまで数々のドラマや映画での出演で活躍する俳優である。67年に俳優デビューをし、翌68年には手塚治虫原作の特撮作品『バンパイア』で主演を果たし、その後『傷だらけの天使』や『刑事貴族』『熱中時代』など多くのテレビドラマに出演。1977年には楽曲『カリフォルニア・コネクション』を発表して歌手デビューも果たしている。
「俳優業は趣味」と公言しているが、その実態は一般的な趣味の感覚とはかけ離れていると言って良い。「相棒」では、数分に及ぶ長台詞も珍しくはないが、本番ではそのほとんどが一発OKだという。本人によれば、一度台本を読んでその後は風呂で反芻するくらいだとのことであるが、驚異的な集中力であることには変わりないだろう。
もっとも、そうした長台詞のシーンは彼自身一種の臨戦態勢ともいえるモードに入り、ほかの俳優やスタッフ皆が極度の緊張状態になるのだという。それは、内心で「水谷さん噛んでくれないかな」と淡い邪念がよぎってしまうほどの圧迫感であるとのこと。言い換えれば、撮影現場でのリアルな緊張状態が相棒の犯人逮捕シーンに見られる緊張感をもたらしているとも言える。
「相棒」では、これまで水谷の相棒が何度か交代されていることはご存じの通り。その初代は寺脇康文であったが、放送開始からおよそ8年にわたり相棒を勤めた彼が降板をすることは、ファンにとってかなりの衝撃だった。そのせいもあり、寺脇と水谷は不仲だったのではないかという「相棒不仲説」がにわかに広まることとなった。
しかし、2022年に5代目相棒が再び寺脇に決定したことで、不仲説が単なる悪い噂に過ぎなかったことが判明した。当時、寺脇は役者としてさらに成長するため舞台中心の活動に舵を切ろうとしていたという。そのことから、撮影との両立が難しいという理由から、本人より初代相棒卒業が申し出されたという。
また、相棒はそもそも水谷と寺脇がダブル主演という形をとっているものの、メインは寺脇の方であり、彼が水谷を引き立てていたというのが大元の構造であったという。水谷がメインのドラマとなったのは、ひとえに寺脇の働きがあってのことだったからだ。
さて、現在に至るまで60年の俳優キャリアを持つ水谷だが、若い頃に一度俳優業から離れたことがあった。
十代で役者デビューを果たしていた彼であるが、そのまま芸能の世界へ残ることに疑問を感じ、大学への進学を目指すこととなった。しかし、不合格という結果によって挫折を味わった彼は、ナップサックに洋服を詰め、衝動的に家を飛び出し放浪することとなった。
優しい人からお金を恵んでもらったり、新聞紙にくるまって公園で野宿したりという生活を続け、いくつかのアルバイトもしていた。そんな彼に、芸能界から距離を置いていることを知らなかったテレビ局のプロデューサーがドラマ出演のオファーをしてきた。知っている仕事のほうがバイトしやすいだろうと考えた彼は、撮影所のある京都へ出向き、そこで監督から「上手くいったら俳優を続けていいと思う」との助言を受けたという。
結果、その時に出演したサスペンス「火曜日の女」シリーズ『あの子が死んだ朝』は大評判となり、その後次々にオファーが舞い込み「太陽にほえろ!」の出演や「傷だらけの天使」レギュラー出演に繋がっていったという。彼の言う「俳優業は趣味」は、趣味であるからこその全力投球といった意味合いなのだろう。
【参考記事・文献】
水谷豊の若い頃!10代の出演作品と知られざるエピソードをご紹介!
https://ikik.jp/10dai-no-shutsuen-drama/#18-2
水谷豊
https://dic.pixiv.net/a/%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E8%B1%8A
相棒主役を寺脇康文が譲っていた!水谷との不仲説はありえない!
https://ekkohappy.com/aibou-shuyaku-funaka/
水谷豊の凄さ 台本は「さっと1回読んだ後、お風呂で反芻」で覚える
https://www.news-postseven.com/archives/20211020_1699986.html?DETAIL
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【文 黒蠍けいすけ】
画像『水谷豊 自伝』