ザ・スパイダースは、日本を代表するグループサウンズ(GS)のバンドであり、ジャッキー吉川とブルー・コメットとともにGSの礎を築いたグループと言われている。
1961年の結成以来GSの全盛期を支え、「夕陽が泣いている」「あの時君は若かった」などのヒット曲を世に送り出し、1970年の解散以後も幾度か再結成されている。
1965年5月10日、ザ・スパイダースによりデビューシングル「フリフリ」がリリースされた。ビートルズ影響下の日本において、国産ロック第一号とも称される記念碑的一作であったにもかかわらず、そのジャケットにはメンバーかつ「フリフリ」の作詞作曲を手掛けたかまやつひろしの姿が無い。
理由は、彼が寝坊してしまいフォト・セッションをサボったからであるという。かまやつはその後も寝坊の常習犯として周知されており、メンバーはその言い訳を面白がっていたそうである。
GSブームが巻き起こる中で、ザ・スパイダースは早くもヨーロッパ巡業を行なっており、各地でライブやTV出演を果たしていた。イギリスの音楽専門番組『Ready Steady Go!』(1963~66年)に出演し、当時のイギリスでの人気バンドであるスペンサー・デイヴィス・グループやマインドベンダーズと共演を果たしている。
来日した海外アーティストの前座やバック演奏なども多くこなしていたザ・スパイダースであるが、1965年にアニマルズの来日公演で前座を務めた際、前座であるにもかかわらずアニマルズの楽曲を完コピで歌ってしまったことで怒られたという珍時も起こした。因みに、この時控室に居たアニマルズのメンバーが、前座の演奏で自分たちの曲が流れたことで、もう始まってしまったものだと思い慌てて舞台へ駆けつけたといった逸話も残っているそうだ。
また、彼ら自身もその影響を大きく受けたビートルズの前座の話も舞い込んできたそうだが、なんとこれについては断ってしまったという。数々の前座をやってきたために懲りたということも一因としてあるようだが、メンバーの加藤充によれば「ビートルズは客席で見るもんだ」という理由もあったという。
いっときは、主演5本、それ以外も含めると12本という映画出演をこなすほどにザ・スパイダースの人気は高かった。その人気は、コンサート会場やテレビ局から出る時にトラックの荷台へ隠れて脱出したほどであるとも言われている。
そんなスパイダースの信じられないような伝説の一つとして、米軍基地のライブで起こった騒動がある。これは、2018年に放送された「歌のゴールデンヒット -青春のアイドル50年間-」の番組内で語られたエピソードであるという。
ある時、米軍でライブが行なわれることとなった彼らであるが、1曲、2曲と歌い続けるうちに3曲目になって場内が騒がしくなってきた。そのうち、会場内で殴り合いの喧嘩が発生していき、徐々にその騒ぎが広がり大きくなっていったという。
関係者の指示によってメンバーは会場を飛び出し基地内を走って逃げていった。すると、メンバーの一人であるかまやつひろしが、「ジグザグに走れ、機関銃で撃たれるぞ」と叫び出し、全員が必死になってジグザグに走り、とうとう逃げ延びることができたという。
GS全盛期にまつわる伝説は数多くあるが、このザ・スパイダースの一件も伝説の一つとしてこれからも語り継がれることだろう。
【参考記事・文献】
ザ・スパイダースが「ビートルズの前座」を断った理由とは
https://www.news-postseven.com/archives/20190619_1394043.html?DETAIL
今からちょうど50年前(1965年)の今日5月10日は、ザ・スパイダースがデビュー・シングル「フリフリ」をリリースした日
http://music-calendar.jp/2015051001
ザ・スパイダース
https://x.gd/gmAeR
【文 ナオキ・コムロ】
画像 ウィキペディアより引用