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ドラマ「肝っ玉かあさん」で母親像の象徴になった京塚昌子の抱えた葛藤

『肝っ玉かあさん』は、1968年から72年まで放送されていたテレビドラマである。全3シーズンに渡る全117回の放送にて、30%前後の高視聴率を誇るほどの人気を獲得。

主演を務めた京塚昌子は、本作にて太った体を生かし「女手一つで切り盛りをするおっちょこちょいだがしっかりものの母親」役を演じた。

これによって彼女は人気を博し、その後もドラマ『ありがとう』などで「恰幅が良く割烹着が似合う」母親の役を多く演じ、当時の日本を代表する”お母さん女優”の一人として親しまれた。

家族や自身の営む蕎麦屋の従業員たちが日常で巻き起こされる騒動と、その温かい人間関係や家族愛が描かれていることが評価される本作において、明るく前向きな母親「大正五三子」、それを演じる京塚の印象は非常に印象深いものであった。

だが、意外にも”お母さん女優”として親しまれ、理想的な母親像を形作った当の京塚は、生涯独身を貫いていた。いや、それ以上に波乱の人生を歩んでいた。

京塚は、私生活ではいくつもの浮名を流していたと言われている。

パトロンであった会社重役の男性の援助で料亭を開店したり、それとは別に映画スターと恋愛をしていたという。特に、当時でも日本で数件ほどしかなかった都内のゲイバーに気分転換で訪れた際、そこで出会った一人のゲイボーイに見惚れ、ついには天ぷら屋を開店し、その彼と同棲生活も始めた。

しかし、演技力が高く評価されてはいるものの、京塚はその体型のせいもあってか脇役ばかりが回ってくる状態だった。その不満からか金遣いも荒く経済状況は悪化する一方であり、ついに2人は別れることに。

その後、「肝っ玉かあさん」で人気を博し、代表的な母親役として知られるようになった彼女であるが、それは彼女の不満を取り除くものとはならなかった。

“理想の母親”役を求められるというプレッシャーももちろんだが、何より母親役ばかりが求められるという現状が、新たな苦悩となってしまった。彼女は女優としての探究心も強く、他の役もやってみたいという思いがあったのだろう。そんなストレスを豪遊で紛らわす生活を送った末に、彼女は糖尿病からくる脳血栓で倒れた。

さらに、京塚が太るようになったきっかけは、22歳の頃に受けた盲腸の手術による体質変化だった。のちに彼女は、アメリカのやせ薬を服用することになるが、なんとこれによって月経が止まってしまった。彼女にとって、母親役に対する不満や苦悩は、こうした要因も影響していたのかもしれない。

【参考記事・文献】
http://xelvis.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5c0f.html
https://hakozsito.exblog.jp/7266724/
https://just-known.com/archives/15

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【文 黒蠍けいすけ】

画像 Wikipediaから引用

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