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「水前寺清子」ホントは歌いたくなかった『三百六十五歩のマーチ』

歌手・水前寺清子は、1964年に『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー以降、NHK紅白歌合戦第16回から第37回まで22回連続出場をするなど、現在も精力的に活躍している。

主演を務めた1970年放送のドラマ『ありがとう』は、民放ドラマ史上最高視聴率56.3%を記録するほどのヒットをおさめたことでシリーズ化もなされた。

彼女の愛称と聞くと、「チーター」と答える人も多いかもしれない。何故、チーターというネコ科の動物のような愛称なのかと不思議に思った人もひょっとしたらいるかもしれないが、実は「チーター」というのは誤りで本当は「チータ」が正確であるという。

これは、彼女の恩師でもある作詞家の星野哲郎が、小柄である彼女を「ちいさなたみちゃん」(水前寺の本名が”民子”)と呼んだことから縮まって「チータ」(ちいた)になった、というわけだ。動物とは一切関係ない。

さて、彼女を代表する楽曲といえば『三百六十五歩のマーチ』。1968年にリリースされたこの曲は、100万枚を超えるミリオンセラーとなり、彼女自身にとって最大のヒット曲となり、昭和、平成、令和と親しまれている。

ところが、当初彼女はこの曲を歌うことに対して非常に強い抵抗があったという。『三百六十五歩のマーチ』は、聞いてお分かりの通りリズミカルな行進曲だ。しかし、デビュー以来彼女は、自身をあくまで「演歌歌手」としており、それにゆるぎないプライドを持っていた。

この曲が提供された時は「どうしてマーチ?」と困惑、それまで着物姿で歌唱していた彼女にとって、パンタロン姿で歌唱することが納得できなかった。その心情的には、「これで水前寺清子は終わった」と自ら思ったほどであったという。

絶対にイヤだと断ったものの、デュレクターから「とにかく一度だけ」と説得させられ、結局は仕方なく歌唱することになった。すると、なんと一発OKになってしまった。

しかし、彼女自身もう一度歌わせて欲しいと願い出、「ワン・トゥー・ワン・トゥー」を日本語発音の「ワン・ツー・ワン・ツー」に変え、一部には演歌で慣らしたコブシをきかせて歌うという、彼女なりのささやかな抵抗を行ない、結果この2度目の録音が世に出ることとなった。

子供たちから「ワンツーのおねえちゃんだ!」と呼ばれ喜ばれるほどに、国民的ヒットを遂げるとは、本人も思いもよらなかっただろう。

実は、前述したドラマのオファーについても、当初は頑なに断っていたという。この頃、歌の仕事も多忙であった彼女がテレビ局のトイレに行くと、そこに必ず待ち構えている女性がおり、「ぜひドラマに出て下さい!」と何度も呼びかけてきていたのだという。

最後には、「どうしても水前寺さんが出ないのであればこのドラマはやりません!」と女性が言ったことで、しぶしぶ了承をしたとのこと。そちらも驚くべきヒットを遂げる結果となったが、彼女が嫌がっていたものがどちらも空前のヒットとなってしまったのは、どうにも運命のいたずらが過ぎる話ではないだろうか。

【参考記事・文献】
https://www.news-postseven.com/archives/20240819_1984311.html?DETAIL
https://arty-matome.com/I0003638

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『三百六十五歩のマーチ/真実一路のマーチ/ウォーキングマーチ