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K-1黎明期の立役者、格闘家「佐竹雅昭」がほぼカットされたバラエティ番組

佐竹雅昭は、90年代に格闘技イベント「K-1」の黎明期の盛り上げに貢献した元格闘家。

少年時代は野球に勤しんでいた彼は、漫画『空手バカ一代』と極真会館創始者である大山倍達の著書『大山カラテもし戦わば』から多大な影響を受け、独学で空手を始めた。そして大学時代は4年生の時に全日本空手道大会にて初優勝を飾る。

大学卒業後に正道会館の職員を経てプロへと転向した彼の活躍はすさまじく、1990年の「全日本キックボクシング」にて参戦した際には、日本格闘技界の立役者の一人とも称される日系人キックボクサー、ドン・中矢・ニールセンにKO勝利し、翌年1991年の「USA大山空手vs正道空手5対5マッチ」では、熊殺しの異名を持つウィリー・ウィリアムスと対戦し、判定勝ちとなる。

その後も、UKF世界ヘビー級王者、KICK世界スーパーヘビー級王座、ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座など数々のタイトルを総なめにし、その圧倒的な強さから「怪獣王子」と称された。

冒頭でも触れたように、K-1の黎明期から日本人ファイターとして第一線で活躍していた人物であった彼は、外国人ファイターと真っ向勝負を行なえる数少ない人物でもあった。

当時は、佐竹以外にヘビー級で戦える日本人がほとんどいなかったため、同じ階級でスパーリングをするためには海外に出頭稽古に行かねばならなかったという。

一方で、彼の代名詞でもあるローキックの威力は、「Mr.K-1」と称されたピーター・アーツや、90年代のK-1ブームの中でK-1四天王の一人に数えられたアーネスト・ホーストといった選手たちをして、「佐竹のローは間違いなく世界でもトップクラス」と言わしめるほどの凄まじさを誇っていた。

だがその反面、彼自身のK-1デビューが30歳近くと遅かったこともあってか、K-1の隆盛と反比例する形で肉体の衰えも見え始め思うような戦績を上げることができなくなっていった。

「K-1 GRAND PRIX ’99」で武蔵と対戦し判定負けをし、結果を巡っての口論の末にK-1及び正道会館から離脱、その後PRIDEに参戦するが、「INOKI BOM-BA-YE 2002」での参戦を最後に現役引退することとなった。

さて、彼はK-1デビュー以前から明るいキャラで知られていたこともあり、バラエティ番組「マジカル頭脳パワー!!」や日清食品のCM、テレビドラマ「聖龍伝説」に出演するなど、タレント活動も多岐に行ない人気を獲得していた。

ところが、彼がかつて出演していた番組で、現在発売されているDVD版から彼の登場シーンがカットされているというものがある。

それは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』だ。

彼はこの番組に何度か出演しているが、彼の登場シーンはほぼ削除となっており、顔が映るカットもモザイク処理が施される徹底ぶりとなっているという。

なぜ、このような事態になったのかは定かではない。そもそも佐竹は、同じくビートたけしの番組『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にもレギュラー出演をしていたが、一説によるとビートたけし自身が彼をあまりよく思っておらず、そのことによって確執が生まれたためにカットという処置がなされたのではないかとの噂がある。

一方で、DVD発売より前に、彼は著書『まっすぐに蹴る』にて既に離脱した正道会館の暴露とも呼べる内容を記載したことから徐々に表舞台から消えていったということ、そのウルトラクイズ出演当時はまだ正道会館に所属していたという事情から、配慮としてカットになったという可能性も考えられる。

【参考記事・文献】
https://anoima.info/satake-masaaki/
https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E9%9B%85%E6%98%AD
https://boutreview.com/fightsspiral/SATAKE_MASAAKI.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1189183666
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14159980019

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【文 黒蠍けいすけ】

画像 ウィキペディアより引用