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「渡辺真知子」の大ヒット曲『かもめが翔んだ日』のエピソードと誕生秘話

渡辺真知子は、日本のシンガーソングライターである。

パワフルな歌唱力の持ち主としても知られ、70年代における次世代の女性シンガーソングライターとして注目された。また、フォークソング全盛期、「シンガーソングライターはテレビに出て歌わない」という風潮をかなぐり捨てて、積極的なテレビ・ラジオ出演を行ない、アイドル的な扱いも受けるほどの人気を獲得。

彼女は、字が違うだけで芸名も本名も渡邉真知子であるが、元々はデビューするにあたって別の芸名が考えられていた。当初は、彼女の後の多くの楽曲イメージにもなっている出身地の横須賀から、「横須賀真知子」の案も上がったという。

しかし、それ以前のヒット歌手で渡辺と名の付く人物が、戦前・戦後に活躍した、『支那の夜』などで知られる流行歌手・渡辺はま子くらいしかいなかったため、むしろ目立つのではないかとの意向であえて本名である渡辺の名字のままでデビューをしたという。

渡辺姓は日本でもトップ10に入るほどありふれた名字ではあったものの、彼女がデビューして以後、渡辺徹、渡辺典子、渡辺美里、渡辺美奈代、渡辺満里奈といった人気となったタレントなどが続いたため、彼女も自身が何かしらを突破したのかもしれない、と思ったそうだ。

彼女の代表曲と言えば、1978年4月21日に発売された『かもめが翔んだ日』。『迷い道』でデビューして2年後のシングルとなる本曲は、第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を含む音楽祭13賞を受賞するほどの大ヒット曲となり、これによって彼女のシンガーソングライターとしての地位が確立されたといっても過言ではない。

この曲が大ヒットしたことによる影響は大きく、彼女のファンクラブや個人事務所、オフィシャルサイトのシンボルには、この曲名にもある「かもめ」の名が用いられており、また2007年からは、「かもめ」をトレードマークとする千葉ロッテマリーンズの応援歌にもメロディが起用されている。

この時は、彼女本人によって応援歌として再録音がなされ、8回裏の攻撃前に流し始めて以降定着した。きっかけは、「みんながよく知っている歌を球場で流して欲しい」というファンたちからの要望によるものであったそうだが、実際この曲を流したことで、「かもめ効果」とも称される大量得点イニングが起こったこともあったそうだ。

「ハーバーライトが朝日に変わる」から始まる印象的な歌詞の「かもめが翔んだ日」は、歌謡曲から子供向けの歌の歌詞まで幅広く手掛けていた作詞家の伊藤アキラが担当している。

渡辺の出身地である横須賀のイメージを元にして書かれた歌詞であるが、実は当初の歌詞では「ハーバーライト~」の出だしが無く、「人はどうして」からの歌い出しになっていた。

だが、ディレクターが「もう一つインパクトが欲しい」と要望、伊藤に追加歌詞の願いを出したその後に、同時期に渡辺が作っていた別の曲を聴いたディレクターが情景のインスピレーションを得たこともあり、一気に出だしの一節が作り上げられたそうだ。

さらに、この曲には更に後日談があり、彼女が30周年を迎えて民俗楽器を奏でる音楽グループ「マリオネット」とともにこの曲をレコーディングしたところ、これまでとは印象が大きく異なった悲しげな始まりをする「かもめ~」が出来上がり、コンサートでも披露。

コンサートの翌朝、コンサートを観に行っていたという作詞担当の伊藤から「僕が思っていたイメージ通りのかもめをやっと歌ってくれた!」と非常に喜んでいる様子の連絡があったという。実は、伊藤自身からすると、そもそも「かもめ~」は失恋ソングであり、渡辺が力強く元気に歌う様をずっと気にしていたとのこと。

彼女の最大のヒット曲は、こんにち音楽配信サービスを通じて、現在の若者にも広く聴かれているという。多くの人々のイマジネーションや理想が合体をして生まれたのが、「かもめ」であったと言えるだろう。

【参考記事・文献】
https://fumufumunews.jp/articles/-/24029
https://blog.goo.ne.jp/suicawari/e/0f160918bb50c8625fc231f970db1593

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【文 ナオキ・コムロ】

画像『かもめが翔んだ日(スタジアム・バージョン)