東京ヤクルトスワローズは、日本のプロ野球におけるセントラル・リーグの球団の一つである。金田正一、山田哲人、古田敦也、野村克也などが所属していたチームとして知られている。
1950年に株式会社国鉄球団が設立され、これがヤクルトスワローズの前身となった球団となり、球団名もその時点ですでに「国鉄スワローズ」とスワローズのままであった。そして、このスワローズという球団名には、次のような都市伝説が存在する。
いわく、もともと国鉄の球団名は「国鉄コンドルズ」になるはずであったが、国鉄だけに「混んどる(コンドル)」にはいかがなものか、ゆったりと「座ろう(スワロー)」ではないか、ということから「スワローズ」に決定されたというものだ。
球団名の由来に関しては、面白い話がいくつもある。「中日ドラゴンズ」は、当時の球団オーナーであった杉山虎之介が、はじめは虎之介に因みタイガースを検討したものの既に阪神が使用していたために断念し、最終的に彼が”辰”年生まれだったからということで名付けられた。
また、国鉄と同じ鉄道球団「南海ホークス」は、当初は客にたくさん乗って欲しいという意味の「コンドル(混んどる)」が提案されたものの、当時の球団オーナーである松浦竹松が見事な禿頭をしており、コンドル、すなわちハゲタカでは失礼ということでハゲを取り除いたタカ(ホーク)が採用されたという逸話もある。
このように、球団名の由来には思わず「そんな馬鹿な?!」と思わずはいられないものも少なくなく、こうした事情を考えると「スワローズももしかしたら」と思えるのも無理はない。しかし、このスワローズ命名由来都市伝説については創作であることが既にわかっている。
これについては、スワローズという名は当時唯一の特急列車であった「つばめ号」にあやかって名付けられたものである、という説明されることもあるようだが、これも正確であるかどうかは定かではない。
確かなことは、球団名については主に国鉄職員から公募された総数8315枚から選ばれることになっており、ファルコンやジョーカー、ゴーストといったものが入り混じる中で、「スワローズ」が最も数が多かったという。
実は、その候補の中に前述したコンドルはあったわけだが、選考委員が「コンドルは『混んどる~』につながる。『坐わろ~』の方がいい」という冗談のような議論が交わされていたというのは事実であるらしく、2015年に開かれた企画展「野球と鉄道」にて展示されていた当時の新聞で確認ができたという。
いずれにせよ、候補の中に「コンドル」自体はあったが、一度「コンドルズ」に決まった、あるいは決まりかけて「スワローズ」に変更されたということはなく、あくまで最初からスワローズが選出されていたということになる。
因みに、ヤクルトスワローズは1970年から73年の間「ヤクルトアトムズ」と名乗っていた時期があった。球団名は、手塚治虫の『鉄腕アトム』に由来しており、彼が球団後援会副会長だったために名付けられた。国鉄がサンケイ新聞に経営譲渡したことで「サンケイスワローズ」となり、1966年に「サンケイアトムズ」、そして1970年に経営がヤクルトに譲渡されたことで「ヤクルトアトムズ」が成立した。
だが、1973年に虫プロが倒産することでアトムのキャラクター使用が中止、3年の空白を経て「スワローズ」が復活したという経緯を持つ。球団名一つとっても、そこには歴史があるわけだ。
【参考記事・文献】
・https://www.sanspo.com/article/20150501-XFSRDMVNTBKNXJAXO4YKBVWWPE/
・https://zatsugaku-company.com/tyunichi-dragons-origin/
・https://aigawa2007.hatenablog.com/entry/2015/04/10/014449
・https://x.gd/Qppu8
・https://tsubame-biyori.com/archives/135#toc2
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【文 黒蠍けいすけ】
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