『遠山の金さん』は、江戸時代の旗本・奉行であった遠山金四郎景元(きんしろうかげもと)を主人公のモデルとした、時代劇ドラマ。1970年から2007年までに7回のシリーズが放送されたテレビ朝日版が特に有名であり、橋幸夫や杉良太郎、高橋英樹から松方弘樹など、さまざまな人物が金さんを演じた。
本流とも呼ばれるこのテレビ朝日版でのパターンは、遠山が遊び人に成りすまして江戸の町で起こる事件に関わり、遊び人の姿で悪党を倒し、奉行所にて北町奉行・遠山金四郎として登場し、最期には悪党が観念するという流れが定番である。見せ場は何と言っても、しらを切る悪党たちを前に啖呵を切って見せつける、腕から肩にかけて彫られた桜吹雪の入れ墨だ。
もっとも、実在の人物をモデルにしているとはいえ、ドラマはフィクションとして構成されているために、実際の遠山が長袴を着用したり入れ墨を見せたりといった形で裁きを行なったわけではなかった。
しかし、一説には実際の遠山の入れ墨は桜吹雪ではなかったと言われている。
家庭事情が複雑であった遠山は、それゆえにグレて家を飛び出し放蕩していたことがあったという。その頃に彼は入れ墨をこしらえたとされているが、なんとその入れ墨は桜吹雪などではなく、口に紙切れ(手紙)を加えた女の生首であったという。
元幕臣であった中根香亭(こうてい)が著した『帰雲子伝』(1893)には、「遠山は二の腕から肩にかけて彫物をしており、その図柄は、髪を振り乱して口に文をくわえた美人の生首だった」と記されている。
だが、遠山の入れ墨については実のところ明確なことはわかっていない。同時代、教育者・作家であった角田音吉(つのだおときち)が著した『水野越前守』(1893)には、「左腕に花紋を黥(ゲイ・いれずみ)する」というような記述も見られる。
さらには、実際は入れ墨など無かったという説もある。先の中根は同書にて、彫り物を禁ずるよう水野忠邦に進言していた遠山本人が彫り物をしていたとは考えられない、としている。現状、彼が女性の生首の入れ墨をしていたと確認できる資料が無い上、入れ墨を彫っていたという証拠すら無い。
彼が入れ墨を彫っていたという話については、別の人物との混同が原因ではないかとの説もあり、有力とされているのが、先代の奉行であり『耳嚢』(みみぶくろ)の著者でもある根岸鎮衛(ねぎししずもり/やすもり)であり、彼の二の腕には入れ墨があったと言われている。
もっとも、根岸の入れ墨についても仮説の域を出ておらず、確証は得られていない。
加えて、遠山は袖が捲(めく)れたらすぐに下ろす癖があったと言われている。この仕草が、若い頃彫った入れ墨を隠すためという話につなげられたのではないかとも考えられている。結局のところ、実際に彼が入れ墨をしていたかどうかは、もはや確かめることもできない。
とはいえ、遠山自身、庶民から称賛されていたヒーローのような存在であったことは確か。
この時代は、11代将軍徳川家斉(いえなり)による享楽政治の影響で、財政は傾き、政治も腐敗してしまっており、その一方で、浮世絵や歌舞伎といった庶民文化も大いに発展した。水野は、上も下も贅沢にふけっているこの流れを断ち切ろうと、非常に厳しい制約や禁令をいくつも敷く天保の改革を行なった。
加えて、支柱にスパイを放ってまで贅沢を取り締まり、「マムシの耀蔵」などと称され嫌われていた南町奉行であった鳥居耀蔵(ようぞう)の存在もあり、1841年に芝居小屋「中村座」や「市村座」が火事で焼失した際に、チャンスとばかりに水野が歌舞伎そのものを全面禁止するに至ったのは、鳥居の進言があったからだったとも言われている。
こうした、水野などの贅沢追放に反抗していたのが、ずばり遠山であった。庶民の文化を護ろうとした彼は、ヒールである鳥居と対立したまさしくヒーローであり、これがきっかけで遠山が主役となる物語が次々を生み出されていった。
【参考記事・文献】
・https://x.gd/MSEaT
・https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000098970&page=ref_view
・https://edo-g.com/blog/2016/11/kinsan.html
・https://rekishigaiden.com/toyamakagemoto/#i-5
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【文 ナオキ・コムロ】
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