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「つげ義春」の不可解な体験、立て続けに起こる不幸は祟りが原因だった?

つげ義春は、日本の漫画家および随筆家である。60年代に全共闘世代の若者を中心にブレイクし、『月刊漫画ガロ』を舞台に活躍した。シュールレアリスム的な手法を漫画に取り入れるなど、後世に多大な影響力を及ぼした漫画家。水木しげるのアシスタントをしていた時期があり、また各地をふらりと旅することも多く、それに基づいた旅エッセイなども執筆している。

幼い頃から貧困に苛まれ、また自身も神経症といった持病も抱えていることも含め、常人離れした逸話が多い。

メッキ工場で働くのが嫌すぎて密航を企て、船にこっそり乗り込んだものの見つかって帰されたことがあり、戦前に猟師であった祖父が戦後は生業のような形で泥棒をし、それで手に入れた金を家に入れていたという衝撃的なエピソードに事欠かない。

彼の作品の中では、なんといっても『ねじ式』を欠かすことはできない。

冒頭に語られる「メメクラゲ」という謎のクラゲは、実のところ「メメ」とは「××」という伏字を表したものであったとのことだが、誤植によって奇妙なクラゲの名前として記載され、ミーム的に流通してしまった。ポケモン「メノクラゲ」の名前の元ネタにもなっており、また「千と千尋の神隠し」にも、ひらがなで「めめ」と書いてある看板が登場しており、ねじ式が由来であると言われている。

本作では他にもこうしたパロディ・引用のケースが多々あり、セリフ「悪質な冗談はやめてください!」は、「うる星やつら」といった作品でパロディされており、また「医者はどこだ」というセリフについても手塚治虫が「ブラックジャック」第一話にてタイトルに用いており、さらには作中に登場するほっかむりに狐面を付けた少年は、鳥山明が「Dr.スランプ」にてデフォルメ化したモブキャラで登場させている。

なお、この作品の舞台のモデルは千葉県鴨川市太海(ふとみ)近辺であるが、「ちくしょう目医者ばかりではないか」というセリフで知られる大量の目の看板が立ち並ぶ路地は、カメラに凝っていた頃のつげが台湾を訪れた際に撮影した風景がモデルとなっているという。

そんな彼には、とあるオカルト的な体験談がある。このことは、彼のエッセイ作品等を収録した『つげ義春コレクション 苦節十年記』(ちくま文庫)の中の「つげ義春自分史」にて断片的に記されている。

1999年1月と2月、彼は母と妻をそれぞれ亡くした。母は認知症、妻はスキルス性胃癌であり、およそ2年に及ぶ介護を経て、彼はすっかり虚脱感に見舞われてしまったという。

6月のこと。自宅にて彼は自分の部屋の窓辺におよそ60センチメートルほどの蛇がいることに気がついた。彼の窓の下はちょうどゴミ置き場となっていたのだが、カラスや猫が常に寄り付く場所であったことから、蛇が必死で必死で逃げて来たものだと考えたが、それと同時に彼は「妻の霊が蛇に憑依した」のだと直感したという。

彼は哲学・思想、あるいは精神世界に関心を有していたこともあり、それに基づいた独自の解釈であったのかもしれない。だが、出来事はこれだけではなかった。

2000年、息子が精神不安定となって引きこもり傾向に陥り、翌年2001年には腸閉塞で入院する事態に、また自身も体調不良が続いたのだという。このことでつげは、妻の癌などを含めた一連の不幸を「祟り」なのではないかと思い始めたとのこと。そして、そのきっかけは、94年に転居した調布市内の自宅にあるのではないかと思い至ったという。

他にも、そこへ転居して以降彼は直後にリウマチが持病に加わり、96年にはガロの元編集長であった長井勝一が亡くなるも、母も同時期に倒れてしまった為に葬儀へ行けずじまいとなってしまい心残りとなってしまった。周囲の重要な人の死や積み重ねられる自身や身内の持病といったものが、一連の出来事を「祟り」ではないかと気がかりになってしまうほどに彼を追い詰めていたのかもしれない。

【参考記事・文献】
つげ義春『つげ義春クレクション 苦節十年記/旅籠の思い出』
https://dic.pixiv.net/a/%E3%81%AD%E3%81%98%E5%BC%8F

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【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用