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「手塚治虫」と「水木しげる」、ライバル関係だった?

日本漫画界に多大な影響力を及ぼし、漫画の神様とまで呼ばれた手塚治虫は、「嫉妬」が強かった人物としても知られている。

福井英一の柔道漫画『イガグリくん』に対して「コマ割りが悪い」と評したり、漫画表現の実験と称された石ノ森章太郎の『ジュン』や佐々木マキの多くの作品に対して「漫画ではない」などと辛辣に切り捨てたり、といった発言が目立っていた。これらの発言は、のちに相手側が激怒したことで手塚が謝罪するという形でオチがつくことがほとんどであったようだ。

対抗心から作風を意識するという例も見られており、手塚の『火の鳥』は白土三平の『カムイ伝』を意識して描かれた作品であると言われている。また、水木しげるの妖怪漫画作品を意識して描いた作品が、『バイパイア』や『どろろ』という怪奇漫画であったという逸話は非常に有名である。

特に、手塚治虫と水木しげるの両者については不仲だったのではないかという説も存在するようだ。実際に、両者が間接的にではあるが主張をぶつけあっていたような記録も残っているという。

もともと、手塚は水木の『墓場鬼太郎』を見て衝撃を受け、階段から転げ落ちたという逸話がある。両者がある出版社パーティに出席した際、手塚は初対面であった水木に対して「あなたの絵は雑で汚い」「あれくらいの漫画は僕でも描ける」と言い放ったという。

この時、水木は何も反論することは無かったが、のちにこの体験をもとにした短編作品『一番病』を描き上げた。この作品は、「自分が世界で一番で無ければ気がすまない棺桶職人」が主人公となっており、他作品への対抗心が強く、嫉妬深かった手塚をモチーフにしたとされている。




人気漫画家は早世することが多い。水木によれば、当時の売れっ子漫画家は超多忙を楽しみ、会えば徹夜自慢のようになることにいつも驚いていたという。『一番病』は、このような当時の漫画業界を含めて揶揄したものであるとも言われている。

手塚の水木に対する対抗心はきわめて強く、宝塚ファミリーランドで『ゲゲゲの鬼太郎』のアトラクションが開催されていたことに対して、「私の故郷で勝手な真似をするな」という難癖のような発言もしていたと言われている。

これだけを見ても、水木に対し手塚がどれほど敵意を向けていたのかがお解りだろう。

水木しげるは、こうした手塚からの敵意については自覚していたようである。だが、「不仲」であったかについて否定的な立場をとっている。というより、水木にしてみれば「一番病」であることがしんどかったのではないかと同情していたほどであった。

一説には、手塚治虫の登場以後、唯一手塚の影響を受けなかったのが水木しげるであると言われているほどである。

元いじめられっ子で漫画一筋のオタク気質であった手塚、幼い頃からマイペースを貫き生活のためという動機で紙芝居・貸本からスタートした水木。漫画家としては正反対ともいえる人生を歩んだ二人の天才であるが、そのことがこうした関係を生み出してしまった大きな要因であったのかもしれない。

【参考記事・文献】
天才手塚治虫の一番病
https://ameblo.jp/m-kamou/entry-12498094951.html
水木しげる先生の、手塚治虫先生に対する思い
https://flying-fantasy-garden.blogspot.com/2013/09/blog-post_30.html
一番病
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E4%B8%80%E7%95%AA%E7%97%85_%E4%B8%80%E7%95%AA%E7%97%85%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81#google_vignette
手塚治虫が嫉妬――妖怪漫画家・水木しげるさんの「壮絶人生」と「ポジティブ精神」に最敬礼
https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201511_post_19356/#goog_rewarded
手塚治虫の嫉妬伝説まとめ!とんでもない暴言の数々を紹介
https://renote.net/articles/45245
手塚治虫は嫉妬深かった!
https://ameblo.jp/hosodakouhei122/entry-12320966460.html

【文 黒蠍けいすけ】

画像 (左)ウィキペディアより引用 (右)ウィキペディアより引用