森昌子は、1970年代のデビュー以降、桜田淳子や山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれ高い人気を誇る歌手として活躍し、その後演歌歌手へ道へも進んで活躍。演歌歌手の森進一と結婚をしていた時期もあり、一時は彼とのデュエット歌手としても活動していた。
彼女がデビューするきっかけとなったのは、オーディション番組『スター誕生!』への出演だ。そもそも、このスター誕生は作詞家である阿久悠が企画した番組であったが、現在でこそ伝説のオーディション番組と謳われるものの放送開始当時は視聴率に伸び悩んでいた。
森が13歳のある日、彼女は叔母に誘われてデパートへ行き、そこで新品の洋服を買ってもらった。すると、叔母から「一曲歌ってくれないか」と言われてデパートの屋上へ上がっていった。実は、そこには「スター誕生!」の予選が行われる会場が設けられていたからだ。
あれよあれよと予選を勝ち抜いたことで本戦へと進んだ森に対し、当初、阿久は「田舎の中学生だ」と訝しげに見ていたが、いざ森が歌い始めるや否やその歌唱力に驚き「あの子を残せ!」と関係者に伝えたという。結果、「スター誕生!」において森は第1回グランドチャンピオンに輝き、これを皮切りに番組そのものも爆発的な人気を獲得するに至った。
また、森の登場はその後「スター誕生!」の応募者を一気にティーンへと引き下げるきっかけ作りにもなり、これによって山口百恵や桜田淳子が発掘されることともなった。「スター誕生!」は、森昌子無しには伝説と成り得なかった番組であったと言ってもいいだろう。
デビュー曲『せんせい』が爆発的ヒットを記録し、新人賞を総なめした森は、まさに次代の美空ひばりに次ぐ大スターの誕生を思わせる人材であった。NHK紅白歌合戦の初出場は、花の中三トリオの中でも最も早く、また15歳での出場は当時の最年少記録となった。
歌手としてさまざまな伝説を生み出した森の中でも、特に強烈なエピソードとされているのがアグネス・チャンに”なりすまして”歌ったことがあるというものだ。
アグネス・チャンといえば、香港出身の歌手であり1972年に「ひなげしの花」で日本での歌手デビューを果たし一躍人気アイドルとなった人物だ。
ある日のこと、とある歌番組のリハーサル中にアグネスチャンが「ひなげしの歌」を歌っていたのだが、実はこの時、アグネスは口パクで全く歌ってはおらず、実際に歌っていたのは舞台裏にいた森であったという。
当時、まだ日本に来て1年ほどであったアグネスと森は仲が良く、何かいたずらをしようと相談し合った末、アグネスが森に対し「私のものまねをして」と言い出し、繋がっていないマイクを持ってアグネスが口パクをはじめ、その裏で背を向けて森がヒナゲシの歌を歌った。
驚くべきことに、この時口パクのアグネスの代わりに森が歌っていたということに気づいた者は、アグネスのマネージャーをはじめとして誰一人としていなかったという。
実際、森はものまねが非常に上手いことでも有名であり、その完成度の高さはものまねが本職である清水ミチコやコロッケもうなるほどの実力であった。
アグネスの口パクに歌唱したのもこうしたものまねの能力によってもたらされたものであったに違いない。結果として、森の方からのいたずらについてスタッフへ種明かしがされたが、あまりの上手さに注意を受けるどころか称賛されたそうだ。
【参考記事・文献】
【ダウンタウンDX】アグネス・チャンの口パク&森昌子がモノマネ 森昌子のアグネス・チャンのモノマネが上手すぎて誰も気付かなかった!?
https://shigotogirai.hatenablog.jp/entry/2015/09/03/170000
「芸能界の都市伝説」これが真相だ!<黄金アイドルの暴走篇『泥酔した小泉今日子が代官山に「落ちている」?』>
https://www.asagei.com/excerpt/76041
『スター誕生!』初代グランドチャンピオン『森昌子』
https://20th.idol-data.com/mori-masako/
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【文 ZENMAI】
画像『森昌子 40周年ベストアルバム』