加藤段蔵とは、安土桃山時代以降の伝承や江戸時代の仮名草子や浮世草子といった文芸作品に広く登場する忍者。一匹狼のいわばフリーランス忍者といえる存在であり、幻術はもとより跳躍術も非常に優れていたことから、古くは「飛び加藤」「鳶加藤」の名で知られていた。
加藤は、戦国時代に活躍したという以外生没年も不明であり、出身地についても常陸国または甲賀か伊賀であったなど素性がほとんどわかっていない。しかし、彼のあまりに超人的な逸話の数々については広く知られている。
ある時、彼は上杉謙信に自分を売り込もうと考え、越後国春日山城下で幻術を演じ、その名を口コミで知らしめようと考えた。そこで行なったのは呑牛術という牛一頭を丸ごと飲み込む術であった。徐々に彼が牛を飲み込んでいく様に見物客は驚いていたが、それを少し離れた木の上から見ていた町民の一人が、タネがあることに気付いて見物客たちにばらしてしまった。
これに怒った加藤は、そばに咲いていた花を脇差で切って見せると、その落ちた花はなんとタネをばらした男の首であった。
加藤のこうした計画は上手くいき、噂を聞きつけた謙信が彼を呼び出し試験が行なわれることとなった。その内容は、重臣の直江兼続の屋敷に忍び込んで愛用の長刀を盗み出すことであった。加藤は、凶暴な番犬すらもいとも簡単に掻い潜り、あっさりと刀を盗み取った。
また、ついでにと言わんばかりに下働きの少女までをも連れさらって来たという。この結果に謙信は、加藤が非常に有能であると認めた一方で、将来敵へ寝返ってしまえばたちまち脅威になると考え、彼を始末してしまおうと思い立った。これにより、加藤は越後から姿を消した。
また、彼は甲斐国の甲府城下にも訪れたことがあった。武田信玄に売り込みに訪れた彼は、そこでどのような高い塀でも飛び越えることができるという跳躍術の試験を受けることになった。だが、そこには罠が仕掛けられており、高い塀の先には槍の穂が何本も埋められ、着地をすると串刺しになってしまうようになっていた。
加藤は、高い塀を飛び越えたその瞬間にこの罠に気づき、なんと空中で一旦静止してから元の場所へ戻り降りて来たという。これを見た信玄も、彼の能力を恐れて始末しておかねばならないと考えた。その後、加藤は一旦召し抱えられたものの油断しているところを暗殺された、あるいは信玄秘蔵の古今和歌集を盗んで逃亡したものの追手によって斬り殺された、というようなあっけない最期を迎えることになった。
実際のところ、彼の実在性については疑問視されており、見てお解りの通りそのあまりの術使いぶりから架空の人物ではないかとの説が有力となっている。そもそも、加藤段蔵というのは後年になってから表記されるようになった名前であり、当初はもっぱら「とび加藤」「飛び加藤」という呼び名であった。
ただ、1558~1559年の同時期に越後と甲斐それぞれで同様の話が語られていたということから、実際にモデルとなった人物がいたのではないかとも考えられており、一説には謙信と信玄の元を訪れた「飛び加藤」はそれぞれ全く別の人物だったのではないかとも言われている。
忍者の歴史は古くからあるが、特に戦国時代になると諜報活動のために雇い入れる武将も多く、透波(すっぱ)や軒猿(のきざる)などといったようないわば忍者集団が仕えていたという。飛び加藤は、雇われる忍びという存在が際立つようになった時代に生み出された異能超人譚であったのかもしれない。
【参考記事・文献】
「加藤段蔵」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈
https://chirigiwa.com/?p=800#toc2
加藤段蔵
https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%AE%B5%E8%94%B5
上杉謙信・武田信玄を手玉にとった凄腕のフリーランス忍者【飛び加藤】とは?
https://www.rekishijin.com/23827
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【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用