倉坊主とは、江戸時代の随筆『耳嚢』(みみぶくろ)に記載されている江戸の怪現象、あるいはそれを起こした妖怪の名前である。
耳嚢では原題が「怪倉の事」となっており、1991年に出版された児童文学作家兼妖怪研究家であった千葉幹夫の『妖怪お化け雑学事典』にて「倉坊主」という名前が付けられた。
舞台は現在の東京都墨田区にあたる本所。幕医の数原宗徳という人物の屋敷にある倉の中に、昔から何やら化物が住み着いていたという。倉の中から物を取り出す際は、毎回その倉の前で断りを入れる習わしがあり、そうすると翌日にはその物品が倉の扉の傍に置かれている。逆に、その断りを入れなかった場合は良くないことが起こっていたという。
ある年、彼の邸宅で火事が発生し、延焼によって倉が焼け残った。非常時だから仕方ないと思い、彼は普段行なっている断りをせずその中で横になった。すると、しばらくして坊主のような化物が現れ、「決まりを破って倉に入るとは無礼なヤツだ」と宗徳に怒った。だが、「本来なら命を奪うところだが、今回だけは見逃してやろう。二度と禁を破って入るな」と言われて即座に彼は倉から逃げ去ったという。
倉に住みつく妖怪というと、岩手県の遠野に伝わる「倉ぼっこ」がよく知られている。柳田國男の著作『遠野物語拾遺』にその話が掲載されており、子供の妖怪として語られる。倉ぼっこがいなくなると家運が傾くとも言われている例があることから、座敷童の一種であると考えられている。
また、『妖怪談義』には別の例で倉にまつわる話がある。梅原宗得という人物の古い倉に、これといって害をなすわけでもない妖怪が住み着いており、四月の十四日には灯明・菓子・音楽などでもって厚く祀っていたのだという。ある時、近隣で火事が発生し、家の片づけが間に合わないと思っていたところ、髪が長く垂れて顔が見えない見慣れぬ女性が一人、倉へ荷物をまとめて入れていたという。
のちに、この倉の隅に誰も移動したり開いたりしようとしなかった箱があることを思い出し、これが不思議な出来事の原因ではないかと考えたという。
倉坊主や倉ぼっこは、ともに倉を住処にして守る存在であると考えられる。ただ、倉ぼっこに比べると倉坊主は明確に倉を自身の持ち場としている風があり、破れば命を奪うようなかなり恐ろしい妖怪だ。妖怪の中でも神格的な要素が強いのかもしれない。
倉は、米をはじめとして家財など貴重なものを保管する場所として、特に防水性・防犯性に優れるよう設計されている。その一方で、暗く密閉された空間ということで何やら不気味な雰囲気を醸し出すような場所でもある。さらに、倉を持っているという事は、それと同時に非常に歴史のある家柄であることも察せられる。
先祖から伝わる物品ということから、霊的な念が宿りやすい場所こそが倉であるとも言える。
【参考記事・文献】
村上健司『妖怪事典』
蔵の民俗誌―大阪市鶴見区旧古宮村の事例―
https://shimamukwansei.hatenablog.com/entry/20170125/1485351599
蔵の中の化け物【耳嚢】
https://ameblo.jp/fushigisoshi/entry-10023059846.html
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【文 黒蠍けいすけ】
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