呪い

皇后が風葬された地「帷子辻」は平安時代から心霊スポットだった?!

帷子辻(かたびらがつじ)、あるいは帷子ノ辻(かたびらのつじ)とは、現在の京都府京都市の北西部にかつて存在していたと言われている辻いわば十字路である。また、その辻で発生する怪異を称して言う場合もある。

現在、京都市右京区に「帷子ノ辻」という地名が残されているが、その付近にあったのではないかと言われている。

この地名は、1841年刊行の桃山人が著した奇談集『絵本百物語』に記されている一つの伝承に由来するらしい。第52代嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなのかちこ)は、篤く仏教を信仰する女性であり、嵯峨野に檀林寺を創設したことから檀林皇后とも呼ばれていた。

大変に美しい女性であった彼女であるが、その美貌に現を抜かす僧が増えてしまったことをとても嘆いていた。憂いた皇后は、皆に改めて「諸行無常」を悟ってもらうべく、自分が亡骸となった時は野に打ち捨てるよう遺言を残した。

その通り風葬の形で野に晒された皇后の遺体は、徐々に腐敗していき、野犬やカラスに食い散らかされ、生前の美貌は見る影もなくなりやがて白骨となって朽ち果てることとなった。

そうして、皇后自身の死にゆき朽ちていく様を見た人々は、「無常」を硬く心に留め、僧たちも妄執を捨てて修行に打ち込むようになったのだという。その皇后の死装束が経帷子(きょうかたびら)であったことから、その場所を「帷子辻」と称するようになったという。

別説では、風葬された皇后の死装束であった帷子がやがて風に舞い、たまたまそれが舞い落ちた辻を「帷子辻」と名付けたというものもある。

余談だが、こうした伝承もあって、屋外に放置された死体が朽ちていく様を経過ごとに描いた仏教絵画『九相図』において、皇后は小野小町と共にモチーフとして描かれているという。

この伝承は、仏教に対する人々の信仰を改めて強いものにするため、身をもって無常を体現させたという皇后の偉業となっているが、全く逆のような形で語られているケースもある。

檀林皇后が亡くなった際にその亡骸は粗末に辻へ捨てられ、日光・雨風に晒されることになった。虫にたかられしゃぶり尽くされた皇后の亡骸はやがて消えたが、のちにその辻を人々が通りかかると、野犬やカラスにつつかれ虫の群がる恐ろしい姿の皇后が現れると言われるようになったのだという。これが、冒頭でも触れた怪異の名称としての逸話である。

京都と言えば、化野(あだしの)、鳥部野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)の三大風葬の地が知られており、貴族が火葬される一方で庶民や無縁仏・行き倒れは風葬されていたと言われている。嵯峨化野念仏寺は、無縁仏を葬る寺院としても名高い。いずれも京都市内に位置していることから、帷子辻が何らかの形で関連している可能性は十分にあり得るだろう。

現代で言えば心霊スポットのような扱いをされていたらしい帷子辻であるが、一部では現在も京都市の帷子ヶ辻町を心霊スポットの一つとしてその名が上げられることもある。真偽は不明だが、女性の幽霊がたびたび目撃されるという噂もあり、この帷子辻の伝承に絡んだ話ではないかとも考えられる。

【参考記事・文献】
水木しげる『日本妖怪大全』

帷子辻
https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/02/17/150222
帷子辻
https://dic.pixiv.net/a/%E5%B8%B7%E5%AD%90%E8%BE%BB
京都の三大風葬地「化野」「鳥部野」「蓮台野」の歴史
https://syasin.biz/2929/
帷子ノ辻,それは京都の風葬地への入り口
https://neutral-neutral.net/shinrei-spot/kyoto-shinrei/kyoto-shinrei-katabira-no-tsuji/

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用