モンスター

障子に映し出される謎の影「影女」を描いた鳥山石燕の意図

影女は、江戸時代の妖怪画家である鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪である。作家の山田野理夫の著書『東北怪談の旅』にも「影女」と題された山形県の怪談が掲載されている。

まず、石燕の記載によると、もののけの住む家に月影に照らされる形で女の影が障子に映るという。山田の著作での影女は、昔ある男が友人の家を訪れて互いに酒を酌み交わしていると、障子越しに女の影が見えた。

家主である友人によるとそれは「影女」であり、今度は庭に女の姿が現れたものの家の中に入ってくることはなかったという。いずれも、障子に女の影が映るというシチュエーションが共通している。

石燕の説明には続きがあり、荘子の中にも「罔兩」(もうりょう)と「景」(人の影)との問答があると記されている。「罔兩」とは、「魑魅魍魎」の魍魎を表す言葉でもあるが、ここでは「景のそばにある微陰なり」とあるように「薄い影」のことも指すため、影の意味で使用されていると思われる。

荘子とは、言わずもがな中国の思想家の一人であり、道徳主義的な儒家の思想を批判し、自然に従うことが世の平和を得られるというその思想は老子と併せ老荘思想とも称されている。その荘子の「斉物論篇」の中に、石燕の言うストーリーが記されている。

おおまかな内容としては、罔兩(薄い影)が景(影)に対して「お前は歩いたり止まったりしないで節操がないな」と問うと、「動きたくて動いているわけではない、その動きに従っているだけなんだ」と答えるというもの。いわゆる、人間の主体性とは何かという問いを表したものであるとされており、同じ斉物論篇の中に有名な胡蝶の夢もおさめられていることから、実際はかなり哲学の命題に近いものとも言えるだろう。

さて、石燕が影女に対してこの荘子の影たちの問答を取り上げたのは、そのような影状の何かが存在しているということなのだろうか。確かに、「シャドーピープル」「シャドーエンティティ」などと呼ばれる影状の怪人あるいはUMAといった存在も近年ではたびたび話題に上がっている。影女もそうしたシャドーピープルの一種と捉えられるのだろうか。

しかしながら、石燕の影女の絵を見てみると事情は少々異なってくるようにも見える。そこには、家中の視点から見た座敷の障子に、確かに人影のようなものが浮かび上がる。だが、その障子の奥つまり屋外には松が生えており、影の形状は実のところその松の枝幹であることが明らかなのである。

明らかに見間違いであることがわかるような描写がなされている影女であるが、石燕がそ荘子の話を持ち出したことは単に影のような妖怪などがいることを示したかっただけではないのかもしれない。荘子の影問答は、いわば「独立した意思はあるのかないのか」という主体性の問いであった。

石燕が荘子の問答を持ちだしたのは、見間違いの影であろうとそれが独自に意思を持って動くのだという示唆、もしくはそのようになって欲しいという願望があったためなのだろうか。

【参考記事・文献】
荘子 斉物論 を読む
https://rei08.com/souji/seibuturon/#toc28
正体は幽霊?異次元人?UMA?謎の怪人「シャドーマン」【UMA図鑑#48】
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/15261#goog_rewarded
影女(かげおんな)
https://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2013/03/04/144258

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【文 ナオキ・コムロ】

画像 ウィキペディアより引用