妖怪「川赤子」といえば、妖怪マニアには親しみ深い妖怪である。この妖怪は具体的な資料に乏しく、江戸期の妖怪絵師鳥山石燕が妖怪画集『今昔画図続百鬼』で創作した妖怪と見られていた。(勿論、石燕がなんらかの体験談や当時の伝承を参考にした可能性はある〕
鳥山石燕の描いた川赤子
かの水木しげるも絵にしており、川辺の草むらの中で泣く赤子という構図が、眼に浮かぶ妖怪マニアもいるだろう。
この水木しげるの描いた「川赤子」には、「川からギヤーギヤーと赤子の泣き声が聞こえ、赤子を探し廻っていると川に落ちてしまう」と言った内容の説明が添えられているが、これも石燕の残した絵から水木しげるが想像したのではないかと推測されてきた。(筆者が水木先生とお話した時、ファンからマニアックな情報を集めればいいとアドバイスをされた。この事から水木先生が川赤子のマイナーな情報や体験談を知っていた可能性も捨てきれない)
今回、山口県に行くにあたり江戸時代、岩国藩士広瀬喜尚が記した「岩邑怪談録」を見ていると「川赤子」の話に改めて気がついた。
以下参考サイト 岩邑怪談録(岩国徴古館 にて昭和期に復刊)
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0744kawaakago.htm
話によると御庄村の鼻紙という場所にある川の淵で夜釣りをしていた男が、釣り糸に捕まり水面上に上がってきた怪しい2歳ぐらいの幼児と遭遇している。この幼児は男の膝まで這い上がったと記載されているので相当怖い奴だが、男は捕まえようとして取り逃がしている。(幼児というから、正確には川赤子という名前ではなく、川幼児という名前がふさわしいと思われる〕
この話は江戸期の話であり、同じように鳥山石燕がこのような川べりの怪異体験を元に「川赤子」という妖怪画を描いたのではないか。昭和期に「川赤子」の説明を文章にした水木しげるも、同様にこのような実体験を聞いて「川赤子がギャーギャー泣く」「人を川に落とす」と記したのではないか。石燕や水木が想像で制作したと断言する専門家がいるが、それは間違いである。
今回地元の知人の協力で岩国市に残る御庄という場所に車を走らせてもらった。さらに細かい鼻紙という地名は残っておらず、現在のどこに該当するのか今後の調査が必要だが、御庄エリアにおける川は一箇所しかなく、候補地の動画撮影を行ってきた。今後更なる絞り込みをやる予定だ。
川赤子の現地調査
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)