昭和の大歌手と言えば、三波春夫と村田英雄、美空ひばりあたりが連想されるだろう。
特に三波と村田はライバル心が強く、お互いにしのぎを削った。
晩年、ビートたけしと村田先生(たけしはこう呼んでいた)は非常に親しく、数々の爆笑エピソードを残している。
村田先生が向こうから歩いてくるので知人が待っているといつまでたってもこちらに近づいてこない。な、なんと!村田の頭がデカすぎて、知人の遠近感が狂ってしまったのだ。またあるときはセーターの試着をしたが頭が出てこなかった、などという逸話もあるくらい頭が大きかったらしい。
ビートたけしが歌を歌っていると村田先生がたけしに囁いた。「たけちゃん(村田はこう呼んでいた)、他人のジャングルを荒らしてはいけないよ」と。たけしは最初意味がわからなかったが、どうやらジャンルとジャングルを間違えていたみたいだった。
海外旅行に行った村田は入国審査の書類を書いてるときに「SEX 」という欄に『週2回』と書いてしまった。もちろんこれは性別を聞いている質問だが、村田は自らの性行為の回数だと勘違いしてしまった。
前述の三波とのライバル関係を物語っているエピソードもある。村田と三波が舞台で共演したとき、台本に「三波は上手(かみて)、村田は下手(しもて)」とそれぞれの立ち位置について書いてあるのを、村田が勝手に勘違いして「何で三波が上手(じょうず)で、このオレが下手(へた)なんだ!」と激高した。
村田の最後の伝説である。
アトラスでも報じたが、生きているにもかかわらず、テレビで自分が死亡と訃報を流されてしまった。存命中なのに死亡と言うニュース速報を流されてしまう村田先生、やはり最後まで大物だった。
(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
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画像『ゴールデン☆ベスト 村田英雄』ジャケット写真より