小橋建太は、日本の元男性プロレスラーとして活躍した人物。全日本プロレス四天王の一人に数えられており、自ら鍛え上げられた強靭な肉体のみを駆使した実直な戦いを繰り広げ、第16代三冠ヘビー級王者や第6代GHCヘビー級王者など、多くの華々しい栄誉を獲得した。
全日本プロレスに入門する前、小橋はもともとサラリーマンをしていた。しかも、当初は入団テストを書類審査で落ちており、通っていたジムの紹介によって晴れてプロレスラーになったという経歴を持っている。
いわば、プロレスに関しては全くのノンキャリアであった小橋だが、その練習量は誰もが圧倒するほどであった。ジャイアント馬場も、「休むのも練習のうちだ」と命令するほどであり、ある中継においては「趣味は練習、職業はプロレスラー」と言わしめた。
小橋の度を超越するほどのトレーニング熱を物語る逸話は非常に多い。例えば、ある時の同僚レスラーたちとの合同練習では、彼自身の猛練習がひたすらに繰り返されたために、共に行なっていた秋山準が練習後に病院行きになってしまったという。
また、アメリカ遠征に向かう飛行機の中でもトレーニングがしたくなったため、フライト中に上半身裸でトレーニングを始めたこともあった。当然ながら、許可をもらった上でのことだ。別のある時には、飛行機の移動で到着が23時と遅い時間、そこで小橋が関係者に聞いたのは「どこかジム開いてない?」だったそうだ。
他の選手からの証言にも、小橋を物語る例はいくつもある。川田利明の、「あいつ(小橋)を殺すには刃物はいらない。ダンベルを取り上げればいい」という言葉はあまりにも有名である。
また、全日本プロレスから移籍したノア時代には、小橋が入院中であった際に三沢光晴が「絶対にダンベルを病室に届けるな!」と選手たちに注意喚起されたと言われている。リハビリが解禁されて真っ先に行なったのはウエイトトレーニングだったそうだ。
この練習量は若手時代から変わっておらず、その異常ともいえる練習量に呆れていた選手たちすらいた。そんな中、天龍源一郎は「お前ら、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」と断言していたという。
その言葉通り、小橋は全日本プロレスを背負うトップレスラーに君臨することとなり、天龍の言葉はその通りになった。
【参考記事・文献】
・https://ameblo.jp/161616osaki/entry-12554226221.html
・https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/383.html
・https://x.gd/GTCxU
【アトラスニュース関連記事】
タイガーマスクの紐をほどいた男、”名勝負製造機”の名プロレスラー「川田利明」
【文 黒蠍けいすけ】
画像 ウィキペディアより引用
性欲怪獣「伊藤博文」、岩倉具視の娘まで…
妻、晶子のアソコにバナナを?ドスケベ伝説「与謝野鉄幹」
チャップリンの家で「ウソつき!」と叫んだ萩本欽一
ヒロインのシャワーシーンは「コン・バトラーV」が先駆けだった
あの美人ヴァイオリニストは毎日ノーパンです!