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「ジャイアント馬場」の波乱万丈なプロ野球選手時代

力道山にスカウトされ、アントニオ猪木と並んで日本プロレスを代表する存在であったプロレスラーといえば、ジャイアント馬場。209cmという日本プロレス界の史上最大の巨体を持ち、「十六文キック」「脳天唐竹割り」といった得意技が有名である。

一時のウルトラマンや仮面ライダー関係の書籍では、必殺技の威力を説明する部分に、「ジャイアント馬場のキック〇〇発分」などといった言い回しがなされるなど、強さの代名詞としてもその存在感を揺るぎないものとしていた。後年はタレントとしてバラエティ番組にも出演し、特にクイズ番組などでの珍回答で人々を湧かせていた。

彼は、もともとプロ野球選手であった。彼のそのリングネームである「ジャイアント馬場」は、彼が元々巨人のピッチャーであったことに由来し力道山が名付けたことでも知られている。

終戦を迎えた頃、小学校に上がったばかりの少年、馬場正平は木や石を使って手製のボールを作り三角ベースを始め、少年野球団のエースとなった。6年生の頃に巨人の試合を観戦に行き、「自分もあのユニホームを着てみせる」とプロ野球への夢を膨らませていった。なお、彼は5年生になった頃から身長が大きく伸び始めたそうだ。

1955年、甲子園予選に出場した彼のもとに巨人からスカウトが訪れ、高校を2年次で中退し読売ジャイアンツへ入団することとなった。中学時代には180cmを軽く超えていた当時の馬場は208cmにもなっており、その長身で大きく注目されることとなった。

当初、体が大きいというだけで足腰が弱いだろうと決めつけられて余計に走り込みをやらされていたというが、彼は小学生の頃から手伝いでリヤカーを引いていたため、全く苦にならなかったという。

バッティング練習では、39インチ(約1m)のバットを振り回すほどの腕力であった。だが、彼のプロ野球選手時代は波乱に満ちていた。

1958年、「神様、仏様、稲尾様」という名台詞がなされた日本シリーズが行なわれるころになると、馬場の視力は急激に落ち、5m先の人物が判別できないほどになっていたという。オフになってから診断に行ったところ、脳の腫瘍により視神経が圧迫していることがわかり、この時に彼が腫瘍を原因とする巨人症であることも判明したという。




医師から全盲は免れるがアンマを勉強しておきなさいと言われ、「野球が出来なきゃ死んだ方がマシ」とまで思いつめた馬場であったが、その精神力は並ではなく手術後1週間で回復するという驚異の回復力を見せた。

手術後、参加したキャンプでは長嶋茂雄が入団したこともあり活気づいていた。馬場は、二軍行きを命じられていたが、3年連続で最優秀投手に選ばれるという好成績を残し、さらに翌年入団した王貞治は入団していきなり彼の投球を体験し、「1本も撃てなかった。これがプロの球なんだと思った」と賛辞を惜しまなかったという。なお、長嶋茂雄が入団して初めてキャッチボールをした相手が馬場であった。

だが1959年、二軍とはいえ華々しい活躍を見せた馬場に巨人から解雇通告がなされてしまった。

ショックを受けた馬場であったが、翌年から大洋ホエールズ入りすることとなっていたコーチから「お前も来い」とお呼びがかかり、1960年、彼は大洋の練習生としてキャンプに参加することとなった。「これに自分の一生がかかっている」と一心不乱に投げ込んだことで、晴れて彼は入団が決定した。

だが、これが気の緩みになってしまったのか、ある休日の朝、朝食を食べないまま朝風呂に浸かっていた馬場は湯船から出た途端めまいに襲われ、ガラスに向かって倒れてしまった。湯上りであったために出血量がひどく、救急隊から眠ってはだめだと頬を叩かれたという。

この時、筋が切れたことで左手の中指と薬指が掌についたまま伸びなくなっており、回復の見通しがハッキリせず、結局彼は入団を果たせぬままプロ野球から身を引いてしまう結果となってしまった。

この年の4月、彼は力道山からスカウトされ、日本プロレスへと身を投じることとなった。この時、治らないとまで言われた左手はすっかり治っており、「プロレスラーになることを運命づけられていたのかもしれない」と悟ったという。

彼のプロ野球での活躍は波乱に満ちていたと言うに充分であろう。彼がプロ野球から身を引いたその年、奇しくも大洋は初のリーグ優勝と日本一に輝いた。しかし、それと同時に彼がその後に輝けるフィールドはプロレスという舞台において用意されていたのだ。

【参考記事・文献】
馬場 正平
http://www.kernelsupport.co.jp/atonan/sensyu/60s/baba_syouhei.htm
ジャイアント馬場
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E9%A6%AC%E5%A0%B4#h3_3
“巨人軍の将来の大器”と評されたジャイアント馬場だったが… 「絶望しました」10代後半で宣告された体調の異変とは
https://number.bunshun.jp/articles/-/851178

(黒蠍けいすけ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

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