纏足(てんそく)とは、辛亥革命が起こる20世紀初頭ごろまで行なわれていたと言われている、中国の風習である。女性を美しく見せるための一種の施術であり、幼い少女の足に布を巻き付けて骨をゆっくりとへし折っていき、成長を阻害することで足を小さく見せるというものである。小脚(シァオジァオ)とも呼ばれている。
纏足がいつごろから始まったかは諸説あるが、およそ11世紀ごろに登場したものであると言われている。元々は、官僚貴族といった上層社会に限られて行なわれていたものであり、その後大都市を通じて普及をしていったと考えられている。
一般的であった纏足の段階としては、5~8歳の頃から始められていた。予備期間として、あらかじめピッタリした小さくて細い尖った靴を履かせて足を拘束させていたという地域もあるそうだが、多くは一定の年齢を迎えた頃から、本格的な施術が行なわれる。
纏足の「纏」とは「きつく縛る」の意味であるが、冒頭でも述べた通り足を単にきつく縛り上げるのではなく、第一趾(親指)と除いた他の4本の指を足裏に向けて折り曲げてから一定の手順で布を巻き付け、特別な靴下と靴を穿かせられる。当然ながら、寝る時も専用の靴を穿かされて四六時中締め付けることになる。
こうして2~3年経つ頃にはいわゆる理想的な纏足が出来上がり、その後成人して以降も布を巻きなおすという作業を定期的に続けていく。
もちろん、纏足は非常に痛みを伴うものである。多くの場合女児に対する施術は、親戚の女性が行なっていたとされているが、これは実の母親が行なった場合、女児が痛がり泣き叫ぶ様を見てしまうと同情から縛りを緩くしてしまい、纏足が仕上がらなかったためだと言われている。
また、纏足によって歩行がままならなくなってしまうケースも多く、敗血症や壊疽で足を失う女性や、最悪の場合命を落とすこともあった。痛みを和らげるために、アヘンを吸わせていたとも言われている。
纏足は、小足という独特の美意識から誕生した風習であるが、同時に男性の欲望の対象にもなっていた。女性が自身の身体で羞恥心を抱く部分は国や民族によって異なると言われており、「裸の時、ヨーロッパの女性は乳房を隠し、日本の女性は局部を隠し、中国の女性は足を隠す」などと言われている。
幼い頃から緊縛し続けてきた纏足は、まさにエロティックの対象ともなっていた。女性が自身の纏足された素足を男性に見せることは、性交渉の前段階と同じことを意味していたとも言われている。
こうした小足に対する描写は、古くからすでに見られており、中国の神話において夏朝の始祖である禹(う)が妃とした女性(塗山氏の娘)は「足が非常に小さかった」とされている。
また殷の最後の王紂(ちゅう)の妃である妲己(だっき)は、雉あるいは狐が化けたものでると言われているが、足だけが人間のものにできなかったために布で包んでおり、それを見た宮中の女性たちが寵愛されていた妲己にあやかり足を布で縛ったという逸話もあるという。
現代では、纏足は悪習としてすでに禁じられている施術となっている。一方で、中国人女性は顔や胸よりも脚の管理に神経を使い、現代において「長脚」は中国における美人のステータスとなっているという。
中には赤ん坊の両足を布で縛り上げ脚を伸ばそうとするほどの管理が現在でも行なわれているというというのである。中国がいかに脚を美しさの象徴としているかは、脚を見せびらかすために腿の部分まで割れた衣装、俗にチャイナドレスと呼ばれる旗袍(チーパオ)が作られたことでも察することができる。
中国にて、足(脚)への独自の美的あるいは性的な嗜好が纏足を生み出したことは確かであろうが、現代においてもその嗜好は別の形で残り続けているようである。
【参考記事・文献】
金文学『日中韓 表の顔 裏の顔』
金文学『日中韓 新・東洋三国事情』
中野美代子『カニバリズム論』
高洪興『図説 纏足の歴史』
中国の奇習「纏足」とは何か? 106歳「最後の纏足女性」が“素足”を晒して証言
https://courrier.jp/columns/217403/
(ナオキ・コムロ 山口敏太郎タートルカンパニー ミステリーニュースステーションATLAS編集部)
画像 黎芳 – C. J. Cornish (1907) The Standard library of natural history, New York: The University Society, Inc., OCLC 1483115Page 123, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38373591による
TOCANA関連記事
無理やり小さい足に変形!? 中国で行なわれていた奇習「纏足」