アトラスラジオ投稿

出版で江戸の文化を豊かにした「蔦屋重三郎」 きっかけの土地・吉原での活躍

蔦屋重三郎(通称「蔦重」)は、江戸時代中期から後期にかけて活動した版元、いわゆる出版・発行を手掛けた人物。多くの作家や浮世絵師の作品刊行に携わり、書物のみならず江戸時代における浮世絵の黄金期を築いた存在として知られる。

彼が主役となる大河ドラマ『べらぼう』(NHK)が2025年よりスタートした。

蔦重は、1750年に武蔵国・吉原に生まれた。7歳の頃に養子に出されたが、その主人が経営していた店の屋号が「蔦屋」であった。20歳を過ぎたころには、引手茶屋の一角を間借りする形で書店経営を始めたという。その後、娯楽や知識を広める重要な役割を持っていた出版業において、彼は徐々に頭角を表すことになった。

現代で言うプロデュース、スカウト、プランナーなどをこなし、作家や浮世絵師を発掘しては世に送り出すことで、江戸の庶民文化を多大に豊かなものにしたことから、現代では「江戸のメディア王」といった異名で呼ばれることもある。

太田南畝、山東京伝、滝沢馬琴、喜多川歌麿、葛飾北斎などは、蔦重なくては世に知られなかったとも言われており、またその中の一人には、謎の浮世絵師としても知られる東洲斎写楽もいる。

歌麿の美人画を広め、京伝の風刺の利いた洒落本・黄色本によって庶民の心を鷲掴みにし、大いなる成功をおさめた蔦重であるが、幕府の検閲に触れることも多く、特に松平定信による寛政の改革では、出版物規制が強化されたことで蔦屋の財産の一部が没収されるなどの処罰を受けた。

晩年は脚気に苦しみ、47歳という若さで生涯を終えた。

人々が何を求めているかを敏感に察知するセンスに長けていたと言われる蔦重。それを表すエピソードとして、最初の書店「書肆耕書堂」経営時代の次のような話がある。

吉原五十間道に面していたというその書店には、遊郭通いの男性客と、当然ながら遊女もたびたび訪れていた。その場所で、男性客は遊郭の遊びスポットや遊女の評判を知ることのできる本を求め、遊女は客とのコミュニケーションをとるための教養あるいは流行のわかる本を求めていた。

それに目を付けた蔦重は、1774年に自著である『一目千本』を出版、遊女たちを花に例えて評を施したこの本は客や遊女たちから大評判となった。吉原が生まれの地ということもあり、人々が何を欲しているかも理解しやすかったこともあるだろうが、これが出版業における蔦重の華々しいデビューであったと言えるだろう。

さらに、その後のこと。吉原のガイドブックとも言える「吉原細見」の独占出版をしていた鱗形屋が、当惑疑惑で処罰を受けてしまい吉原細見が出版できなくなった。蔦屋は、これをチャンスとばかりに吉原細見の新たな出版元として名乗りを上げ、また当時話題だった発明家・平賀源内が序文を書いたことも宣伝効果として拍車をかけ大ヒットを記録した。

人々が何を求め、どのようなものを喜ぶか。半世紀に満たない短い人生ながらも、蔦重が発揮した大いなる才能によって、江戸の庶民文化は花開いたと言っても良いのかもしれない。

因みに、レンタルビデオ屋「TSUTAYA」との関係であるが、TSUTAYAは運営元の会長である増田宗昭氏の祖父が営んでいた置屋(芸者や遊女、あるいはその見習いが生活する家)の屋号に由来しており、そもそも蔦重を知ったのは店舗を開業した初日のことであったという。

彼の祖父がそもそも蔦重を意識した屋号を名乗っていたのかも謎であるが、少なくとも蔦重を知った増田氏は、その自信が目指すビジネスのビジョンとして蔦重を強く意識するようになったそうだ。

【参考記事・文献】
https://manareki.com/tsutaya-jusaburou
https://irohani.art/study/28992/
https://hatsu-tsugu.com/archives/2874#toc3
https://www.touken-world.jp/history/history-important-word/tsutaya-juzaburo/

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【文 ZENMAI】

画像 ウィキペディアより引用

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