業界のウワサ

【ヒデキ都市伝説】ギャランドゥと名付けた人?野外フェスやペンライトも…

西城秀樹さんが亡くなったニュースは、アトラスでも報じさせてもらった。

西城さん、というか……熱烈ファンと勝手に思っているので、あえてヒデキと呼ばせていただく。そのヒデキが芸能界に残した足跡はあまりにも大きい。今では当たり前になっていることも、ヒデキが日本で初めて行ったことが多いのだ。

コンサートにおいて、ペンライトをファンが使って応援する風景は一般的だが、これはヒデキがルーツである。コンサート前日にラジオでヒデキが『懐中電灯を持ってきてほしい』とファンに呼びかけ、それが後々ペンライトを持ってライブで応援するというスタイルになったのだ。




今では当たり前になっている歌いながらアクションをつけたり、スタンドマイクを振り回すマイクアクションも、ヒデキが最初にやった演出である

またヒデキはライブに並々ならぬこだわりを持っており、国内では早くから野外フェス行ったり、ライブでクレーンで吊られて歌ったのも彼が最初である。

さらに80年代初頭から日本人歌手の先駆けとして、アジアに進出して大成功を収めたのもヒデキだった。

非常に大きな功績を残したと言える「西城秀樹」。その死去はあまりにも衝撃が大きい。




「へそ毛」「胸毛」が豊富なことをギャランドゥと呼ぶが、これもまたヒデキに由来する。ライブなどでよく上半身を晒したヒデキのへそから胸にかけて豊富な体毛が生えていたため、ヒデキのビッグヒットソング「ギャランドゥ」からその名前がついた。一説には、ラジオ番組で松任谷由実がそう名付けたと言われている。

ちなみに代表曲「ヤングマン」は当時アメリカでヒットしていたビレッジピープルのヒットソングを翻訳したものであり、アメリカではゲイの曲と言われていたが、日本ではYMCAの振り付けとともに、子供から老人まで全国のお茶の間に受け入れられた。これもヒデキの功績のひとつである。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『西城秀樹 スーパー・ベスト DQCL-1179