作家でありオカルト研究家でもある山口敏太郎は、徳島県の出身である。地元徳島に昔から残る伝説や歴史関連の話題に関しても、調査を行っている。
江戸期において、諸藩の間で商業価値のある農業品が盛んになった時期がある。現在の徳島県である阿波藩もそうであった。貨幣兌換率の高い「藍」染めが流行り、儲けの薄い米を作らない時期があった。
当然、藩内では米が足らなくなる。かと言って、他藩からの米の買い取りは制限されているし、裏取引で米を他藩から買い取る闇米は重罪であった。
「しかし、このままに捨て置けぬ、誰ぞを藩の代人として、闇米を購入させろ」
藩の上層部の指示により、十郎兵衛という資産家の男が闇米の取り扱いを行った。おかげで、阿波藩の米不足は解消されたが、この行為が幕府の知るところとなった。
「闇米は十郎兵衛の独断でござる」
いつの時代でも切り捨てられるのは弱者である。不幸にも、闇米政策の罪を背負い十郎兵衛は死罪となった。
その悲劇は阿波の人形浄瑠璃になり今も上演されているが、怨念は今も晴れていないという。
何故なら、十郎兵衛屋敷において、不思議な写真がとれたり、怪異な現象が続いているからである。
この話を友人でもある徳島の郷土史家・多喜田氏にしたところ
「その祟りの原因は、十郎兵衛とは限りませんよ」
と言われた。
氏の説によると、現在怪異の起こると言われている噂の十郎兵衛屋敷は、元々四国の某酒造メーカーの社長の自宅であり、それを観光的に十郎兵衛屋敷として移転し、再構築しているだけであるという。つまり、十郎兵衛が住んだ屋敷ではなく、企業の社長が所有していた旧家なのだ。
すると、怪異の主は誰で、誰に、何を訴えているのか。
筆者は少年時代から度々十郎兵屋敷に行っているが、一瞬にして鬼のような顔に変化する浄瑠璃人形が怖くて、怖くて腰を抜かしそうになった事がある。
木偶人形に対する潜在的な畏怖が産んだ怪異談ともいえるだろう。徳島が生んだ都市伝説である。
(監修:山口敏太郎)