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【暗闇の日本史】侵略者の先発隊・イエズス会に逆らったザビエルは殺害された…

 戦国時代の1594年に我が国にに初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本で一番有名な宣教師ではないだろうか。イエズス会の創設メンバーの1人であり、ゴアで弟子にした日本人キリシタン第一号とされるヤジロウを従えて日本に布教のために来日した。




 もっとも本誌ATLASでも以前紹介したように聖徳太子の時代には景教としてキリスト教は伝来していたが、本格的に日本に定着させたのはザビエルの功績と言っても過言ないであろう。

 当時のイエズス会の役割は、キリスト教未開の地に積極的に赴いて布教活動をすることであったが、スポンサーでもあったスペイン国王やポルトガル国王の意向を受けて植民地開発の先発部隊という意味合いも持っていた。つまり、キリスト教に感化した現地住民を多数育成したあと、彼らを洗脳して現地の政権や王族を打ち倒す、一連の工作のための情報収集を行っていた形跡もあるようだ。現代で言うならば諜報機関といった役割であろうか。一説には信長暗殺にも関わったという指摘もあり、政治的に重要な位置にいたことは事実である。

 このようなイエズス会の政治参加は日本でも確認されている。信長の配下であった荒木村重が反旗を翻すと、親しい高山右近も荒木に同調した。この右近がキリシタンであったため、信長はイエスズ会のオルガンチーノ神父に右近の懐柔工作を命じている。信長はこの工作活動の交換条件として、首尾よく成功したあかつきにはキリシタンの保護を約束しており、信長も諜報機関としてイエズス会をうまく利用していたようだ。




 なおザビエル自身の本音としては、アジアの他国と違って日本人の文化レベルは高いと評価しており、日本そのものには好意を持っていたようだ。当然、日本に来たのは資金源であったスペインやポルトガルが日本を植民地化するための情報収集が目的であった可能性が高いが、ザビエルの心境は途中から少しづつ変化していったのではないかと推測している。

 筆者が思うに、ナバラ王国の貴族の家柄に生まれたザビエルは、自国がスペインに併合された経過を見ており、愛着を感じ始めていた日本がスペインやポルトガルの植民地になることに軽い憤りを感じたのではないのか。自分の故郷が他国に占領されたように、この日本がスペインやポルトガルに支配されてしまう。もうそんな事態は見たくない。日本人の倹しさや勤勉さに共感していたザビエルがそう思ったとしても、なんら不思議ではない。

 無論、ザビエルのこの動きはイエズス会本部にも察知されており、中国での布教活動へ向かう旅の途中で暗殺されてしまったのではないだろうか。肺炎にて死んだということにして、密かに消されたのではないかと筆者は思っている。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

イエズス会