日本人にとって古代の偉人の一人である聖徳太子に、非実在説が唱えられている。

 少なくとも厩戸皇子という凡庸な皇子は実在したが、聖徳太子のような聡明な政治家は存在しなかったという説が有力になりつつある。また、中には聖徳太子は蘇我入鹿と同一人物であるという説も出ており、聖徳太子の存在をめぐる論争は盛んになりつつある。

 厩戸皇子の実績で有名なものとしては、十七条憲法と冠位十二階が想起されるが、この実績さえも厩戸皇子が没した98年後 (720年)の『日本書紀』編纂時に捏造されたものであるという説が広がっている。というのも十七条の憲法に関する用語に関して疑念が広がっているのだ。当時存在していなかったはず単語が使われている以上、怪しいと言われても仕方がない。

 厩戸皇子といえば”日出處の天子”という名前で、大国・隋に挑戦的な書状を送った逸話が有名だが、『隋書』『卷八十一 列傳第四十六 東夷傳 倭國 』によると、この書状を送った人物は多利思北孤という名前である。

 この謎の人物・多利思北孤は、必ずしも厩戸皇子とは限らず、推古天皇か九州のローカル王朝の首長という可能性もある。つまり、日本書紀を編纂して国家の体裁を整えるときに象徴的なスターを作りたかった藤原氏の意向に沿って創作されたとみるのが妥当かもしれない。




 また厩戸皇子の数々の逸話を検討していくと、当時既に景教という名称で日本に入ってきていたキリスト教の影響を受けていた形跡がある。厩戸皇子には厩戸(馬小屋)の前で出生したと言われる伝説があるが、これはマリアがキリストを馬小屋で生んだという設定と同じである。また、太子信仰は大工の間で広がり現代でも続いているが、キリストの父親は大工であった。このあたりも東西の聖人であった両者の伝説が、深く密接に関係していることが伺える。

 その為であろうか。ここ数年高校の教科書からは「聖徳太子」という名称が無くなりつつあり、「厩戸王」か「厩戸皇子」という表記に変わりつつあるのだ。厩戸皇子というごく普通の皇子に数々の逸話をつけて、中央集権のイメージキャラクターに祀り上げていったというのが真相ではないだろうか。

 このように不思議な逸話の多い聖徳太子には、超能力のような力があったとも言われており、空飛ぶ馬に乗って都にやって来たとか、大勢の人が言うことを同時に聞き取ったとか、国や人の未来を見通せる力もあったと噂された。その予言書が俗に『未来記』と呼ばれる各地の寺院に残る一連の文献である。

 この『未来記』によって人生が変わってしまった人物もいる。楠木正成は、浪速の天王寺に寺宝として保管されていた『四天王寺未来記』を読み、鎌幕府の滅亡と後醍醐天皇の建武の新政が予言されている内容に衝撃を受けたという。他にも唐招提寺に伝承される『唐招提寺五十巻本未来記』などが保管されており、寺社に伝わる予言めいたものは聖徳太子の不思議な伝説に基づき『未来記』とされたようだ。

(山口敏太郎 ミステリニュースステーションアトラス編集部)

隋書 未来記





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